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映画『ハクソー・リッジ』••••• メル・ギブソン監督による沖縄戦(前田高地)の実話 [映画]

【 戦後72年目を迎える沖縄戦の映画 】

日本が、来月8月15日で72回目の終戦記念日を迎えようとしている時、日本軍と米軍が死闘を繰り広げた沖縄戦での実話を描いた映画が、あのハリウッド俳優メル・ギブソン監督(映画「ブレイブハート」主演)によって製作されていると知り、映画館に出かけた。


【 主人公エドモンドの真の勇気 】

主人公エドモンド・ドスは、第二次大戦後(1945年)に良心的兵役拒否者としては初めて、軍人として最高の栄誉勲章をトルーマン大統領から授与されます。正確にいうと、兵役を拒否したのではなく銃を触ることさえ拒否した衛生兵として従軍したのです。。映画では、エドモンドが聖書の中の「汝、殺すことなかれ」の戒めを少年時代からいかに信仰、信念として持ち続けたかを描いていて、自然と理解や共感はするのですが、入隊後猛烈な暴力的いじめにあったり、上官から強く除隊を迫られたり、軍法会議では危うく刑務所行きになりかける事態の中でも、決してその信仰、信念を曲げなかった勇気には驚きました。後になって上官のグローヴァー大尉は、「痩せた臆病者」と思っていたが彼こそ真に勇気のある人間だと認め、深く謝ったのです。


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【 そもそも「ハクソー・リッジ」とは? 】

「ハクソー・リッジ(Hacksaw ridge)」とは、直訳すると「のこぎりのような尾根」の意味で、沖縄の浦添市にある「前田高地」を指しているとわかったのはネットのお陰でした。米軍の師団が高地に立て籠もる日本軍と戦う中で、150メートルほどの崖を6回登って6回撃退されていた最中に、エドモンド・ドスが属する部隊は初めてこの崖を目にします。第77師団の衛生兵エドモンドは、高地の上で軍艦からの砲弾(艦砲)や雨のように降り注ぐ銃弾、火炎放射、手榴弾の中を本当に丸腰で動き回ります。あゝ、なんという恐怖! 命からがらとはこのことです。こんな体力、気力は持ち得ません。戦争映画を見るたびに、「あゝ、矢張り女に生まれたほうがいい!」とつくづく思ってしまうほど自分に度胸や自信がないことを思い知らされますね。


【「人は殺さない」信仰と戦争への参戦】

彼のセリフの中に「真珠湾攻撃を聞いて、自分も入隊したいと思った」とありますが、これには日本人の私としては微妙な感情が生じますが、太平洋戦争の真の経緯は当時のヴァージニア州の田舎に住む一庶民の若者には知る由もないでしょう。彼は「汝、殺すなかれ」を説く聖書の教えに立って、「人を殺す」ためでなく、「人を救う」ために従軍に自ら志願するのです。ここで注目すべきことは、彼自身もかれの信仰するセブンスデー・アドベンチスト教会(Seventh-day Adventist Church)も、戦争そのものには反対の立場ではないということです。
映画では、「みんなが次々と入隊していく中で、自分だけが家にいるなんてできない」という言葉を言っていました。信仰として「人は殺さない」、だから「銃には触れない」。戦争には「人を殺す」為でなく、「人を救う」為に行くのだ、という考えです。一方で、国家が戦争状態になったら、自分は当然参戦する、というのです。これは、国家として自立できていない今のお仕着せ憲法を遵守だの、戦争よりも常に対話を!協調を!と空論を声高にいう腰砕けの連中に聞かせてやりたい言動です。


いつ殺されるかわからない修羅場の戦場で、本当に丸腰状態で仲間の負傷した米兵を探し回り、励まし、一人ずつ高台から崖の下まで「もやい縄」で降ろしていくエドモンドの行動には圧倒されます。強い信仰を持ち、「神様、もう一人、あともう一人だけでも救わせてください」と、疲労と恐怖の放心状態になりながらもつぶやく姿は崇高な感じがしました。エドモンドを演じたのは、最近日本でも注目された映画「沈黙」で主演の若手俳優アンドリュー・ガーフィールドですが、今回も信仰に生きる若者を違和感なく演じています。「ハクソー・リッジ」の方が、時代も現代に近いアメリカ青年役なので適役だったと思います。


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【 映画全体と監督のメル・ギブソンについて】

今回ネットで調べて見ると、監督をしている有名俳優メル・ギブソンはカトリック教徒だと分かり、随分前にアカデミー賞を幾つも獲得した「ブレイブハート」を思い返して見ると、今回の作品とも共通して成る程こういう心情を持った人なのかと思える作り方やシーンが蘇りました。「ハクソー・リッジ」では先ず、エドモンドの故郷ヴァージニア州の自然風景がまず出てきます。岩山は少年時代から楽しく遊びまわった所でしたが、青年になって戦場に赴いた時は、険しい前田高地の断崖となって生死を分ける地獄の場所となって出現する巡り合わせ。エドモンドが命懸けで神に祈りつつ75人の兵士を救い出した後、自分も負傷して担架に担ぎ込まれ、崖から空中に吊るされて降りていく場面は、空中に浮かんだ担架のエドモンドだけがアップになり、まるでエドモンドの行為が天上の神に祝福を受けているかのようなカメラワークであった。これは、「ブレイブハート」の最後に、主人公ウォレスが服毒死を拒み、壮絶な拷問死で息絶えていく途中の幻想的シーンと被さりました。ウォレスははっきりとしたキリスト教徒者ではなかったにしろ、ウォレスやエドモンドに共通して言えるのは、信念、あるいは信仰の強さであり、メル・ギブソンは監督として真の勇気を観客に問いかけたかったのではないかと思います。確か2004年に制作され、上映前からも物議を醸したど同監督の映画「パッション」は、ズバリ、キリストの処刑をテーマにしたものです。今回の映画から昔見た「ブレイブハート」のいくつかのシーンを改めて思い出し、まだ見ていない「パッション」を見てみようと思いました。(この「ハクソー・リッジ」は監督としては確か5作目です。) なんとまあ、ネットで見ると、「パッション」の2作目も制作予定だとか、「ハクソー リッジ」に関するインタヴュー動画を何本か見ましたが、往年のあの若々しいハンサムな顔立ちは、どこに行ったの?と思いますが、エネルギッシュな話ぶりや オーラは健在で、さすがこれまで3人の女性に9人の子供を産ませただけのパワーがある人物だなと感心しました。

今回、戦争映画だけに見る前からその残酷なシーンや描写に覚悟をして臨みましたが、そのせいか割と冷静に見れました。やはり日本人なので、米兵が火炎放射器で日本兵を焼き殺す場面はとても悲しかったです。アメリカ軍の圧倒的な物量を見せられ、日本軍がもし同じだけの物量を持ち得ていたら、恐らくは勝っていただろうにと思いました。この映画では日本や日本兵そのものへの非難や蔑視などはなく、彼らの描き方もほとんどまともで反発や違和感はありません。1つ言わせて貰えば、日本軍の敗戦が決まった頃、沖縄戦の敗将、牛島中将を連想させる人物の切腹の仕方が簡単に描かれていたことです。これまで読んだ本での刀の差し方と切り方(作法)と比べると正確ではありません。日本人付きのスタッフがいたのは知っていますが、そこまで知識がある人ではなかったのか、簡略化したのかはわかりません。

「ハクソーリッジ」はアカデミー賞の2部門で入賞していて、それだからいうのではなく、キャスティングも上手く配され、脚本もよく、あれだけ爆発シーンや激しいアクションの中で一人も負傷者が出なかったのは驚きです。一番最後に、晩年のエドモンド・ドス本人や当時の上官などのインタヴュー動画も短く添えられ、エドモンド・ドスという比類なき勇者があれほどの惨たらしい戦火の中で実在したという感慨を深く味わい感動を覚えました。


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1984年製作・映画【空海】(弘法大師・御入定1150年記念)ー早坂暁作のコミック本と合わせた感想 [映画]

ある日、新聞紙上で36年前の古い映画「空海」の広告を目にして初めてその存在を知り、早速レンタルビデオで観ました。そもそもこの映画は、弘法大師・空海「御入定」1150年を記念して企画、製作されたものでした。ということは、弘法大師空海が旅立たれて、平成29年現在、1186年もの時が経過しているということです。


今回、ネットで検索しているとなんと、主演俳優染谷将太で「空海 KU-KAI」の映画が今中国で製作中で、今年度完成し、2018年公開されるとのこと、映画の一部の情報を読んでみると、オーソドックスな撮り方ではなく、中国での若き空海の冒険談になっているような印象を受けました。どんな出来上がりか楽しみです。原作は作家夢枕獏が17年かけて書いた本、「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」(全4巻)ということです


さて、映画は3時間ほどの長丁場なのに途中で退屈さを感じなかったのは、脚本家早坂暁氏の力量によるのでしょう。早坂氏と言えば、かなりの昔、NHK放映の吉永小百合主演、「夢千代日記」の脚本家としても有名です。空海を演じる俳優北大路欣也は当時41歳で、青壮年期を演じるにはぎりぎりのところだったと思います。あくまで個人の意見ですが、後半になるにつれていい雰囲気が出ていました。最後の最後、私に会いたくば、【遍照金剛】と唱えなさいと弟子たちに伝えるところでは、自然と涙が出て来ました。


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幼少年時代の空海の名は、真魚(まお)という、現代からすれば変わった名前ですが、そこではたと思ったことは、若い頃九州の天草に居た頃見聞きしたことでした。海に囲まれ殆どが漁業に従事するか半農半漁の地元では、その人たちの名前に魚そのものや動物、漁業に関するものがなんのてらいももなくつけられていた事実です。さらに言うと、日本ではそう大昔に遡らなくとも少なくとも戦前までは古風な、実際に人の生活、職に関わる名前が確かに使われていたのを思い出しました。空海は、いや真魚は、天草の島々と同様、海に面した四国の讃岐生まれの人です。その名前になんの不思議もないわけです。


空海という名前を何時頃から名乗るようになったのか、歴史に登場する日本人にはよくあるように、空海という名に落ち着くまでにいくつか名前があるようですが、名は人を表すというだけに、よくこの名前を付けたものだと思います。歴史上の他の名僧とは別格のスケール、人格の大きさ、密教の不可思議な雰囲気、日本各地に広範囲に残る足跡、逸話は、平成の現代もこれからも人を惹きつける不思議な魅力に満ちています。


映画の中で、これまで知っていた、或いは、知らなかった逸話、彼の発した言葉(台詞)を確認したくて、同じ早坂氏作による、【空海】(集英社・ジャンプ コミック デラックス)というコミック本を選びました。


空海の修め究めた密教の内容や奥義は、私にとって未だ手掛かりがあるような無いような想像を超えたものですが、映画とこの漫画本を合わせると、空海の生きた時代は、奈良から遷都したばかりの平安京初期の頃を含み、天皇も次々と代が変わる生臭い政争を孕んだ時代だったと分かります。これは発見でした。また、共に遣唐使として中国(唐)に渡って無事に帰国できた後天台宗を開いた年長の最澄が一時空海の弟子となり、結局、お互いの立ち位置の違いが深まり袂を別つ過程が漫画の中の問答でも描かれ、よく理解できた。


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細かいところでは、映画でもコミックでもサラリと触れられていたが、空海の修行時代、富士山噴火に遭遇した際、相手の命を生かそうとして抱いた女が、10年後にその時身ごもった子供を連れて空海を訪ねて来て、彼が自分の弟子にする場面が印象的でした。これは、100パーセント早坂氏の作り上げたフィクションでしょうか?或いは、元になるような話、伝承があったのでしょうか?興味のあるところです。


以下の事柄も強く興味を持ち、自分なりに思いを巡らした点ですが、また別の機会に触れたいと思います。

① 空海の生きた時代、当時の朝廷との関わり

② 室戸岬にある海に面した洞窟で修行中体験したこと:明星が空海の口に飛び込んで来た事

③ 滞在期限20年という掟を破ってまで2年で帰国した理由

④ (漫画本の最後にある)最晩年の空海の【秘密曼荼羅 十住心論】を説く言葉
の意味


ちょっと残念なことは、中島徳博氏の漫画(絵)のタッチが荒削りな感じがして私の好みではなかったことですが、映画「空海」の思い起こしにはとても役立ちました。



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映画「沈黙」を観て•••••日本は宣教師の墓場? [映画]

もうかなり前に、バプティスト派の牧師さん(この方は滞在歴も長く日本語も堪能な方)から、「日本は宣教師の墓場だ」と話されるのを聞いて、強く印象に残っていた。この映画の原作は遠藤周作の「沈黙」である。残念なことに原作はまだ読んでいなく、映画の方が先になってしまったが、1つの作品としてどう感じたかを書いてみた。


映画全体を観終えて、内容や展開を予想していた前半よりも後半の方が興味深かった。主人公ロドリゲス神父が、彼を信仰に導いたと言える恩師フェレイラ神父が遠い日本で棄教したという知らせをマカオで聞くところから映画は始まる。主役はアンドリュー・ガーフィールドが演じているが、ついあのスパイダーマンかと思ってしまったり、4百年前の話なのに現代の青年の匂いがしてしまうのは私だけだろうか?彼なりに演技にははまっていたと思うのだが。スコセッシ監督が最初に考えていた、あのカメレオン俳優と異名を持つダニエル・デイ・ルイスの方があの時代の雰囲気にマッチしていると個人的には思います。彼ならば、生命の果てるギリギリのところまで神と対峙する悩める人間をもっと深く演じられたのではと想像します。


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実はこの「沈黙」の映画化の話を私がネット上で最初に見たのは10年ほど前だったように覚えている。当時長崎に居たこともあり、時の流行作家、遠藤周作氏の講演もそれよりずっと昔に一度聞いたこともあって映画化を期待する気持ちが高まりました。しかし、どういう経緯かその話がたち消えてしまい、再び、今度は映画の完成のニュースを昨年9月か10月ごろに知った次第です。


だいぶ話がそれましたが、キリシタンではありながら何度も踏み絵を踏む「転ぶ」行為を選ぶキチジロー役は、日本人の(勿論でしょうが)窪塚洋介が演じています。このキチジローはその度にロドリゴ神父に告悔(こっかい、英語ではconfession)を請います。こうした人間の弱さ、愚かさ、哀れさを彼はよく滲ませていましたが、懺悔を神父に何度も請い願う場面を見るうちに、これほど繰り返していくうちには、もっと彼の中で苦悩が深まっていくのでは、何かしらもっと変化が生じていくのではという疑問が湧いてきました。そこに映画の演出の物足りなさを感じます。キチジローがいかに厳しい環境に置かれ、教養もなく、人間の弱さを持った性格だろうとも、そもそも神という存在を自分の中に自分なりに認識したのなら、神に背く、つまり、信仰を否定したり自分の大切なものを何度か否定する行為は、その後の彼を変えていくでしょう。


演技力においては、井上筑後守を演じたイッセイ尾形がもっと巧みであったと思う。ロドリゴ神父に向かって放つ言葉、「お前はわしに負けたのではない、日本という沼地に負けたのだ」というセリフが印象的です。また「 村人たちはお前のいう神を信じているのではない、お前たちパードレを崇めているのだ」という内容の言葉は非常に示唆に富んでいる。中東で生まれ、西洋で広まったキリスト教は本当に日本という異なる文化、風土にある民に理解されうるのか? 最初に述べた「日本は宣教師の墓場だ」というある牧師さんの言葉が蘇ってくる。


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目の前で迫害を受ける隠れキリシタンたちの苦悩、非業の死をまざまざと見せつけられ、神はいるのか?何故、神は沈黙し答えてくれないのか?とロドリゴ神父は苦悶する。生きているロドリゴ、殺されていく信者達に為すすべも与えない神の全き「沈黙」と、信者達の命と引き換えには棄教せざるを得なかったロドリゴのその後の「沈黙」の生き様は彼の心の中でどう捉えられ解釈が成されたのだろうか?
最後のシーンはここでは言えないが、観る人に1つのヒントを与えていると言える。


棄教後の彼を語るナレーションの声が誰が語っているのかはっきりと分からないまま、最後のシーンまで釘付けになった。3時間ほどの長い映画であったが、途中で飽きがくることも無く、寧ろ時間の経過が早く感じられたのは、物語の引き回しが成功しているのだろう。見終わって、色々と補足説明が欲しいような気がしたので、やはり原作を読むしかないだろう。


最後に、映画のロケーションは、なんと台湾で行われたと分かった。日本ではコストがかかりすぎるのが大きな原因とネットに書かれていた。日本の海岸の景色かなと思えたが、アジアで日本にも極めて近い台湾の海や山が使われていた。

28年前に「沈黙」の翻訳本を読んだ時からこの映画化を望んでそれをついに叶えたスコセッシ監督の大いなる意志に大きな拍手と賛辞を捧げます。


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舛添都知事に見て欲しい映画『殿、利息でござる』•••••実在の無私無欲の日本人 [映画]

5月14日公開の映画『殿、利息でござる』を早速見て来ました。

予告編を見て単純に面白そうだなと思ったのと、先週末に【徹子の部屋】に主演の阿部サダヲさんが出ていて、その軽妙なトークの中で彼の初の時代劇主演と知り、益々期待が増しました。

この映画は、笑いあり、涙ありのコメディータッチの映画の相を呈していますが、「これは実話です」というフレーズが添えられています。ネットで見ると、江戸中後半期の仙台藩内・吉岡宿の穀田屋十三郎達が成した行動を描いたとあります。磯田道史の原作「 無私の日本人 」の一編【 穀田屋十三郎】が元になっているそうです。


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****舛添都知事に観てもらい、感想を求めたい映画***

映画を見ていくうちに、そして見終わったあとに、なんという無私無欲の日本人がいたのか!という感慨と驚きがありました。それと同時に、折しも13日の金曜日に政治資金流用の釈明記者会見をした舛添都知事が対照的な真反対の人物として頭に浮かび上がりました。舛添都知事には日本人の「恥」という観念がないのか、と思いました。丁度、17日火曜日の「虎ノ門ニュース 」出演の百田尚樹氏が、この人には「恥」という概念がない!と、全く同じ意見を述べられたので我が意を得たりという思いです。主人公穀田屋十三郎とその志を同じくする仲間達の生き方を見て、私には「滅私奉公」、「無私無欲」という四文字が浮かびました。前者の「滅私奉公」は本来奉公人の姿勢や生き方を示す言葉と思いますが、穀田屋十三郎は正に私(わたくし)を無にし、公(自分の村や住民)のために持てるものを進んで投げ出すという徹底した公人の生き方そのものです。権力に溺れ、公金を欲望に任せて費う舛添氏は「厚顔無恥」という四文字がはまりました。先週の記者会見以降も、元妻の片山さつき氏や元愛人の母親、元新党の関係者から次から次に暴かれる実態をネット上で読むと、その私的公的モラルの低さは明白です。この映画にある実在の人たちからすれば想像もできない品性、人間性でしょう。舛添氏にはこの映画を観てもらい、感想を求めたい。たとえ、この人が記者会見の時のように言葉を繕ったとしても、そこに見える人間性を確認したい。


***ストーリーの一部***

江戸中期明和の時代(240年前)、仙台藩にある吉岡宿(村か町くらいの規模)は、飢饉もある中、藩への年貢、さらには無償で提供する伝馬役という課役もあり疲弊していた。かねてから自分の住む吉岡宿の現状を深く案じていた穀田屋十三郎(阿部サダヲ)は、知恵者の菅原屋篤平治(瑛太)から、当時としても奇策と言える「取られる側から取る側」に換わる【お上への金貸し】という逆転の発想を聞きつけ、思わず唸ってしまうがその場で決断する。先ず自分から私財を投げ出し、仲間集めに奔走する。普通ならば、自分や家が儲かる話につながっていくと思うが、元より私利私慾はなく、藩への貸付金から得られる利子を一銭残らず伝馬役や住民への資金に当てるのが目的であった。何とただただ差し出すだけの行為である。協力者を一人づつ当たっていく中、当然ながら金銭欲や名誉欲にかられ仲間に入ってくるものもいたが、十三郎は無論、ほとんどが無私無欲の志で全ては吉岡宿全体のために私財をギリギリまで投げ出した。藩に嘆願書を出し、上納という貸付が認められるまでに紆余曲折があるが、そこは映画を観る面白さとなっている。話はここで止まらず、何がしかの見返りや報酬は一切求めず、自分たちの救済の事実すら子孫代々口外せぬ、集会などの公的な場所では末席に座る、通りでは目立たぬように端を歩くなどと、徹底した滅私の戒めを自分たちに課した。戦後生まれの私としてはここまで謙(へりくだ)らないといけないのかと思ってしまう。しかし、これが古文書に記録されていることだから、私たち日本人の祖先は実際にこういう生き方を良しとしたのでしょう。

穀田屋十三郎を含めて庶民の9人が足掛け6年かけて、今のお金で三億円もの大金をかき集め、とうとう藩への交渉が始まるわけですが、江戸時代の身分階級社会でなかなかスムーズにはいきません。最終的には穀田屋達の一念を貫き通す思いが叶います。映画の最後のナレーションで、吉岡宿はそれ以後何十年にも渡り(一時期、藩からいきなり打ち切りがあった)江戸時代末まで、藩からもらう利子のお陰で以前のように疲弊することはなかったと知らされた。借金を反故にせず、利子を払い続けた藩にも感心しました。


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***見所***

主人公穀田屋十三郎には長年の疑念というか、トラウマがありました。長男の自分がなぜ養子に出され、弟が家を継いだのか?ということです。十三郎の父親である浅野屋甚内、そして吉岡宿で一番しみったれのケチと言われている弟の本当の姿と秘密は映画を観る人のためにあります。

この映画のキャストもよく考えられていました。男性ばかりの登場人物の中に、史実にはない飯屋の女将として【竹内結子】を入れたところは、華のあるアクセントになり成功していると思います。

冷酷で計算高い役人を演じる松田龍平もなかなか味が出て適役でした。一番意外な配役ながらとても好感が持てたのは、伊達藩主重村を演じたあのスケーター羽生弦詰でした。若い殿様役ですが、凛々しくて新鮮でそつなく演じていてびっくりです。


***再び、舛添都知事について***

記者会見での舛添都知事の回答を聞くと、権勢を振るう立場に乗っかり余りの公私の区別もなさ、権威主義、筋の通らぬ言い訳に終始していて幻滅しました。私的流用の疑いをかけられた公金は全額返金、と同時に、今回の指摘が陰謀や単なる中傷でないなら、疑いを持たれたこと自体を恥じて辞任すべきだというのは厳しいでしょうか?これが穀田屋十三郎の生きた江戸時代ならば、公金横領で切腹ものでしょう。前述の百田尚樹氏も「虎ノ門ニュース」で同じことを言っておられました。

舛添氏は東大卒の頭脳も冴えて、能力やキャリアも高いということから都民も選挙で選んだと思いますが、今回ネットで調べると、普通一般の人間から見ても私人、公人としても問題ありです。こういう人物を再び都知事に選ぶことがないよう、都民も日本人全体も選挙民として猛省しないといけないです。


***最後に***

穀田屋十三郎とその仲間達の驚くべき善行はこうして後の世の日本の社会や日本人のあり方を問いかける鏡となる事に感動しました。この映画の意味はここにあります。しかし、映画でも触れられていたのですが、彼らの行動や生き方の源は、浅野屋甚内が日常に繰り返し説いていた陽明学の教えにあるとわかりました。(陽明学に興味が湧きました) 人はかくあるべき、という先代の父親が説いていた教えが、いつの間にか皮膚感覚で息子に伝わっていた教育の偉大な効果を感じました。まさに、人は家庭を含めた教え、教育によって形成されるのです。


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映画「 追憶の森」 富士の樹海は理想の死に場所? [映画]

大型連休は無いものの、ミニ連休の初日の3日に、ごく最近まで予定はなかったのですが、映画「追憶の森」を観ました。次のことに促されたからです。

① テレビか予告動画でほんの一、二回、渡辺謙さんがこの映画について語るシーンを見たからです。
( やはり、自分というか、人間というのは視覚に訴えられるとその感覚が強烈で動かされやすいのだと思いますね。)

② 謙さんとあのマシュー・マコノヒーの2人の絡み合いのシーンがほとんどを占める

③ 場所は、日本のあの自殺の名所、富士山の麓の【樹海の森】らしい


ここまで揃えば、多少ネットでの映画の評価が低くてもどれどれ見てみようという気になるものです。

見終わっていつものごとくネットで検索すると、監督はあの「グッドウィルハンティング」を撮ったガス・ヴァン・サントだと知り、ちょっと驚きでした。「グッドウィルハンティング」は、トラウマや挫折を抱えた若者の再出発を描いていたが、その視点から今回の映画を振り返ると共通するものが感じられる。また、わたくし的には主演のマシュー・マコノヒーは気に入りの俳優でもないのだが、何故この映画のオファーを受けて出演したのか、という理由は5月4日付の【リアルサウンド】(牛津厚信氏)を読んでみるとその辺りの経緯や推察がよく出されていて面白い。

【リアルサウンド】によると、
マシュー・マコノヒーは90年代後半にデヴューし(1961年生)、一時かなりのブランクを経て「リンカーン弁護士」(2011年)を始め2、3の作品で勢いを盛り返し、「ダラス・バイヤーズクラブ」(2013年)でアカデミー賞主演男優賞を獲得した。私は残念ながら若い頃の彼しか見ておらず、今回の眼鏡をかけうすら髭の生えた中年男性の顔に面影をなんとか合わせようと画面を追っていたが、記憶の中の彼の顔立ちではなかった。2、30年も経つのだからそれはちょっと酷だったかもしれないが、役どころなのか年齢を経た男性として別の人の風貌に変わっていた。撮影当時の年齢53才にしては若さを保っている姿で決して悪い意味ではない。


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この作品は、アカデミー賞を受賞した「ダラス・バイヤーズクラブ」の公開前に演じた映画ということです。共演の渡辺謙はマシュー主演「インターステラー」の監督の常連で、「インターステラー」出演者のマット・デイモンは、「追憶の森」のメガホンを取ったガス監督が「グッドウィルハンティング旅立ち」で一躍有名になった俳優です。映画業界は、このように何処かで誰かと繋がっている集合体だとよくわかる。何だか俗っぽい表現かもしれないが、営業マンが取引先の社長から別ルートを紹介されて自分の販路を広げようとした、という感じがふと湧いた。(これって小市民の発想?)

映画の原題は、【 The Sea of Trees 】で、文字通り邦題を【樹海】とすると、日本の観客にとってみれば、はなからおどろおどろしさを感じ、内容からしてやはり【 追憶の森 】がふさわしいかもしれない。一方、海外の観客からすれば、【 The See of Trees 】(樹海)の原題の方がかえってストレートで効果的である。言葉の持つ意味は、このように国や社会文化で変容するという実例でしょう。


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配役に対しての違和感は覚えなかったが、ストーリーの流れ、描き方に無理を感じた。 111分という割と短めの時間のせいもあると思うが、主人公のアーサーが、妻との不協和音に始まる一連の不幸の中で、ついに自殺をしようと思い至るまでの精神的葛藤や内面の動きが深く丁寧に描かれていないため、観客は彼の選択にあまり共鳴できない点である。彼の行為に説得力があまり無い。そもそも、病を患った妻ジョーンが夫のアーサーに、病院のベッドではなく「理想的な死に場所」(字幕スーパーのまま)で死んで欲しいと願い、アーサーもそれに約束をする場面がしっくりこなかった。我々日本人の場合、人はよく畳の上で死にたいと言いますが、字幕の「理想的な死に場所」という和訳はむしろ「一番ふさわしい死に場所」としたほうがいいのでは?と見ている時に気になりました。ジョーンの言葉が唐突にしかもあまり脈絡もなく出てきた感じで、私にはしっくりとこなかった。この言葉が出て来る心情や必然性がいまひとつ掴めなかったのです。合わせて、アーサーが彼女のいう「理想的な死に場所」、つまり"the perfect place to die" をネットで検索しヒットした青木ヶ原の樹海のサイトに見入るところは分かりますが、いかにグローバル化した時代とはいえ、アメリカのとある空港からはるばる日本にまで所持品もほとんど持たずやってくるところなど、現実的で無いと思われました。そのリアリティーの無さを他に感じたのは、ネタバレになるのであえていいませんが、自殺の影から逃れ生を取り戻したアーサーが再びアメリカに戻り、多分長期の不在となった期間をどうクリアしたのか以前の講師の仕事にすんなり復職していたところです。

『結論』
登場人物の行動や心情にリアリティーや説得力が欠けるところはありますが、追憶の森に入っていくところから、そして渡辺謙演じるタクミという中年男性との遭遇や絡みのシーンでは飽きさせないセリフの掛け合いがあった。タクミというなにやら説明のできない謎の人物がアーサーの囚われの心を溶かしていくところが興味深く、最後に先に樹海の森を脱出できたアーサーが再びタクミを探しに森の中に入りそこで見たものはこの映画のハイライトのシーンだと思う。
森で見つけた花が気になっていましたが、花に詳しくはなくともあれは胡蝶蘭、薄黄色の混じった白い胡蝶蘭だったと思っています。コチョウランの花言葉に、「純粋な愛」がありました。監督はこれを知ってこの花を使ったのでしょうか?これは一つの謎ですね。

総体的に見て、この映画の評価は[☆]?[☆]?[☆]?の星3つです。カンヌ映画祭ではブーイングをかけられるほど不評だったそうですが、キャストは良かったこと、森の中でのアーサーとタクミの対話シーンが良かったことで、説得力に欠けた出来栄えながら3つにしました。

最後に、英文サイトを読んでいてわかったこと。この事は映画を鑑賞した人の何パーセントが知っているのでしょう?日本の青木ヶ原の【樹海】が主な舞台になっているのに、実はそこでロケはせずにアメリカのマサチューセッツ州にある森の中で撮影したとのこと、2014年9月に撮影したと掲載されていました。えっー!!と驚いてしまいました。どうして近場で撮ってしまったのか?もし、本当に日本の青木ヶ原で撮っていたら、本物の雰囲気がにじみ出てカンヌ映画祭でのブーイングも減ったのでは?と余計ながら思ってしまいました。(映画の最後のテロップをよく読む人にはバレバレでしたでしょうが)


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映画「スポットライト」が示す聖職者による性的虐待、教会の闇 [映画]

先日、アカデミー賞の作品賞、脚本賞を獲得した作品ということで期待しつつ鑑賞しました。

制作に八ヶ月を要したというこの映画は、2002年1月、アメリカ東部のローカル新聞「ボストングローブ」の特集コーナー【スポットライト】に載った記事が元になった実話である。

マイアミから来た新参の編集部長マーティン・バロンの指示でボストン地区のケーガン神父による児童性的虐待事件を調査し取材して行くうちに、5名のスポットライト担当グループが大規模な被害の実態とカトリック教会の大きな闇を知ることになる。これは聖職者による性的虐待というおぞましい事実と共に、教会そのものがその事実を組織的に平然と隠蔽していた事実の2つのスキャンダルを同時に暴いた。


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これだけ重い内容を持つ映画であるのに、二時間ほど途中で飽きもせず見続けられたのか?
私の感想としては、次のような点に理由があると思う。

①聖職者と児童性的虐待というショッキングな取り合わせにフォーカスせざるを得ない

教会という何よりも神聖とされるべき組織の中で、神に近しいとされる神父が長年にわたり多くの 少年に性的虐待を行ったという驚愕の事実

②闇の中に隠蔽された性的虐待という犯罪の事実を、記者たちが一丸となり必死の努力でひとつひとつ暴いて行く過程で連帯感を共有する

映画の中で、この新聞の読者の53パーセントがカトリック信者だと言っていたが、大きな権力者で影響力を持つ教会を相手にタブーを恐れず告発して行く勇気はいつでもどこでも賞賛されるべきものです。

③記者たちの言動を正義感むき出しやバリバリの功名心を前面に出さず(実際もそうだったのでしょう)淡々と活写している手法

④アカデミー賞脚本賞を獲得しているだけあって、各自のセリフやカット割りが簡潔で、キャスティングが成功している


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以上、4つもあげてみましたが、キャスティングがまずいとせっかくの脚本も無駄になります。

出演俳優として印象に残った人は、地道に精力的な取材、調査を続ける記者たちの中で、新任の「独身のユダヤ人男性」(と映画の中で揶揄されていた)、編集局長マーティン・バロン演ずるリーヴ・シュレイバーの存在感と落ち着いた地道な取材を続ける女性記者、サーシャを演じたレイチェル・マクアダムスです。チームのリーダー役、マイケル・キートンも適役でした。

さて、映画を見終わり、最後のテロップを見るとこう書いてあった。記事の発端となったボストンの教区司祭ケーガン神父は、イタリアのローマ市内の高位聖職者としてボストンから転属となったと書かれていた。この神父は30年にもわたり、約130人もの児童への性的虐待を行ったと知りつつ、教会は彼に処分もせず寧ろ厚遇の扱いをしたのである。後から別のネット検索をしてみると、教会は「犯罪と腐敗の温床」と書かれていた。全くその通りである。

ネットサーフィンをしていると、あのマザーテレサに関する《黒い噂》の記事が出てきた。別の記事として書く機会が必ずあると思うが、彼女の生前から告発されていたというから、全くもってメディアの伝える表面的な内容はもう信じない、信じられない時代になったということだろうか?

ともかく、この映画は、どなたかも述べておられたが、とても地味だが押し付けがましいところが無い点、脚本も出演俳優もよく練られていい作品だと評価します。
評価は、 [☆][☆][☆][☆] です。


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映画「あやしい彼女」を観て•••••人生の機微が詰まった映画です [映画]

仕事を終えた後、4月1日公開の映画「あやしい彼女」を観に行ってきました。
普段はテレビでも映画でも邦画は見ない私ですが、テレビでこの映画のCMを見て、日々のストレスを軽くしてくれそうな印象があり、口コミ評価も?で中々良かったからです。わたしの評価も?です。


その訳は、主に次の3つにあります。

① キャスティングの成功

② 演出、脚本が良くできている(なんと韓国映画のリメイクでした)

③ 歌謡懐メロを20才の設定の主人公が歌い、新鮮な魅力を放っている

映画のスタートは、主人公カツ(倍賞美津子)のノリノリのブギウギダンスで始まり、楽しい気分になりました。もっともこの曲を聴いてすぐわかる人は団塊の世代より上の年代層ですが、我々高齢者を上手く引き込む導入になっています。同時に、あまり詳しいことは避けますが、この映画では音楽が大きなモチーフになっていて、主演の若手女優多部未華子さんが口パクではなく歌唱力があり、一曲一曲を情感をこめて歌う美声と姿にほろりとなりました。録音シーンだけでなく、ストリートやライブでのパフォーマンスも健康的で可愛らしく魅力的でした。今時の芸能界では単に可愛い娘や美人は数多くいますが、同性ながらも多部さんは好感が持てる可愛い女優さんだと思いました。それだけ彼女が「あやしい彼女」である20才のカツ(大鳥節子)にはまっていたということでしょうか?


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前述の①でのキャスティングの成功は、この多部さんの演技が一番手だと思います。外見は20才、中身(ハート)はなんと73才のおばあちゃん(と言ったら可哀想かな)ですが、自分でなんども戸惑いつつ軽妙に若さを乗りこなして行く20才のカツが笑いを誘い、共感が持てました。人間って、外見や肉体は老化してきても、本来の心や魂そのものは 時間の影響を受けないものだと改めてこの映画からリアルに教わりました。
( *多部さんは、顔はさすがに見覚えがありましたが、映画を観て初めて名前を知った次第です)

若くなったカツがほのかに恋心を抱く音楽プロデューサーの小林には要 潤がなっています。個人的には、これまで彼はあまり好きなタイプの俳優でなかったのですが、彼もまたこの役がよく合っていました。やり手のアクの強いプロデューサーというより、若手の優し味のある人物としてカツに親しみを感じて行く青年を上手く抑えて演じていました。

若くなったカツには小林との淡い恋心を叶えて欲しいと思いましたが、やはりドラマにも現実味があり、思いがけない出来事で元の73才のカツに戻ることを決意します。最後の最後、物語の途中でカツの秘密を知ることになった幼馴染の次郎がなんと同じく若返った姿でカツの前に現れます。小林への思いは何とかここで明るく吹っ切れていくのでしょう、と期待します。


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特に心に残るシーンは、大鳥節子からカツに戻り、小林から贈られた髪留めを差し彼に気づかれぬまま去って行くところ。1年後、小林は節子への思いを未だ捨てきれずにいた。この時の要 潤の演じる小林の表情がいいです。マスコミからインタビューを受けて、かつて節子を撮った写真を携帯で探したところ、そこに写っているはずの彼女の姿が全て消えていた時の彼の驚き!節子と小林の絡みの場面はどれも面白かったです。

映画の最後に流れるテロップを観て、この作品の原作"Miss Granny" があることに気づき、家に帰り調べたところ、何とこの映画は元々韓国映画のリメイクだと分かりびっくりしました。人物の設定などは確かに違っていますし、非常に細かいことを言えば、韓国映画ではヒロインは74才ですが、日本のこの映画では73才の設定になっていました。

親子問題、三世代の絡み、友情、恋愛模様、若さと老い、等などおよそ人が味わういろいろな感情が交錯するが故に、共感を覚えるのでしょうか? ともあれ、こんなに面白い映画なのに空席が目立つ暗闇の中で、結構涙が溢れました。若い人も年配者もそれぞれの感慨を持てる映画なのでお勧めです。


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イタリア映画 「これが私の人生設計」 [映画]

3月6日・日曜日、行き先を二転三転して夕方から久しぶりに映画を観に出かけた。マット・デイモン主演の「オデッセイ」と合わせて2本観るつもりが、家の中の掃除をしているうちに出遅れてしまい、「これが私の人生設計」だけになってしまった。

最後がいつのことか思い出せないほどイタリア映画は久しぶりでした。実力もキャリアもある女性建築家が、母国イタリアに戻り仕事を得ようと奮戦する物語とネットで調べて選んだ映画でした。上映されるシアター内に入ると、何とほとんどが空席です。前日の5日が放映開始日なのに上映が始まっても10名位だったでしょうか!びっくりしました。

主人公の建築家セレーナ役はパオラ・コルッテレージというイタリアではかなり有名な女優だと後から知りましたが、気負いも無くそれほど派手な美人系でも無く、やる気満々で明るい役が自然でした。実年齢では撮影当時40歳くらいの人で、アラサー&アラフォーの世代の女性への応援STORYになっています。


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セレーナがローマで就活し始めるや、建築業界の性差別にもろにぶつかります。現代のイタリアがこんなに「超」男性社会だとすると驚きです。彼女の仕事への奮闘ぶりがコメディータッチで描かれているとはいえ、人権がうるさいはずのヨーロッパの一国イタリアでこの現実があるとすれば、日本と同じかも、いえ、日本がまだ露骨ではないかもと思いました。なぜなら今日本では、土木系女子の事を「ドボジョ」という風潮があり、それは好奇心を持って受け入れられているからです。少子化や人手不足のあおりを受け、意外と日本では徐々に女性が進出していくことになるのではと、先日の土木女子にハイライトを当てた番組を見ていて感じていたところでした。


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さて、まともな建築設計の仕事にありつけない中、セレーナはバイト先のカフェレストランでイケメンオーナーに出会います。思わせぶりなその登場シーンには思わず笑いがこみ上げますが、本当に笑っちゃうのはあることが発覚してからです。この男フランチェスコを演じている男優は、映画「トスカーナの休日」で出ていた俳優だと分かり、ああーっ!あの人か!と思い出しました。あの映画では、ダイアン・レイン扮するアメリカ人作家と関係を持った女たらしを演じていました。映画「プレデターとエイリアン」にも出演していますが、残念ながらこちらは観ていません。

フランチェスコに恋心をいだいたセレーナでしたが、ゲイだとわかった後も何だか割り切れなさも感じるところに女心を感じますが、後半で出てくる彼の幼い息子の登場で、フランチェスコの父親としての戸惑いや感情も表現されていて、単なるドタバタ劇で終わっていないところは監督の手腕でしょう。
この息子役が上手くて、セレーナとお別れをするとき、「パパがゲイなので、(あなたを)愛せなくてごめんなさい。」というところは子供ながらに大人の気持ちを想像できるすごい子だなと、そのおませなセリフにジーンとしました。

あんまり言うとネタバレなので省きますが、自分の身代わりにフランチェスコを建築家にすえ、そのアシスタントとして振る舞うセレーナに限界の時がやってきます。最後の最後、全てをあからさまにした時目の前にいた男性は「モヤシ男」でした。この役を演ずる男優がイマイチだったので、見る方としてはなんだかスッキリ感はありませんでした。風采があまりパッとせず、性格や考え方がクッキリ描かれていなかったからです。脇役とはいえ最後を飾るシーンですからもう一寸適役を選んで欲しかったですね。

と言うわけで、「これが私の人生設計」に対する評価は3~3.5です。


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日本・トルコ友好125周年映画「海難 1890」を観て [映画]

「海難1890」は12月5日から公開されているが、やっと昨日観ることが出来ました。小雨の中映画館にギリギリで着くと、思いの外満席に近い状態で、目線の高さになる席が一つ空いていてほっとしました。
初めてトルコにツアーで行ったのは2003年のことで、それよりも前に、トルコの艦船「エルトゥールル号」の海難事故の話は産経新聞記事で知っていました。当時は明治時代で、その頃の貧しい漁村で生活していた日本人たちの真心に感動したものです。ツアーの途中で、日本語が流暢なトルコ人ガイドのニハト氏が移動中のバスの中でこの事件の話をしてくれ、思わず身を乗り出して耳を傾けたのを今でも覚えています。ニハト氏は、日本にも行った事があり、この事件の舞台となった和歌山県串本町にある慰霊碑のあるところまで訪ねて行ったと語っていたのが印象的でした。


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初めてのトルコの旅で、世界3大料理の一つと言われるほど美味しいトルコ料理や親日的なトルコの人たちに魅せられ、それから2度、3度と出かけたのはいい思い出です。その間、小学校時代の教科書に「エルトゥールル号」事件と日本人たちの話が出てくるのか現地の人に尋ねたところ、本当にそうだと返事が返ってきました。そうであれば、トルコの人達のほとんど皆が昔の日本人の善行だとは言え、私達日本人に対して感謝の気持ちと好意を抱くのは自然だろうなと思いました。親日的な理由としては、もう一つ挙げられます。それはトルコが散々悩まされてきた帝政時代のロシアに小さな島国日本が戦争で勝利した事です。よくぞやっつけてくれた!という気持ちだと思います。


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今回の映画化は日本とトルコの友好125周年にも合わせたもので、ようやくここまでこぎつく事ができたという感慨を市民の1人としても感慨深いものがあり、どれ程、あるいはどういう手法で作られているのかという期待や興味がありました。

先ず、冒頭のシーンは思いがけないもので、「おっ!」と驚きました。普通の映画ではこういう展開にはならなかったでしょうが、映画が作られた目的や意義を考えると頷けます。
配役はほとんど適役で良かったと思いますが、俗世間にまみれた医師役の竹中直人の役回りはちょっと軽いような気がしました。もうちょっと地味でハマリ役の人がいれば良かったでしょう。史実を基に脚色したストーリーになっていますが、前半の「エルトゥールル号」海難事故編では、若い女性のハルが登場しますが、夏川結衣扮する遊女お雪の存在が緊迫した場面の連続で暗くなりがちなところに艶っぽいアクセントをつけているところが良かったです。配役を後から見直すと小林綾子が出演していたと分かりましたが、アップではあまり写らなかったのか観ている間では気がつかなかったです。

意外にも「エルトゥールル号」が航海に出てからの船内での人の動きや人間模様がよく描かれていて、特撮でしょうが、嵐に翻弄される艦船の様子もリアルでした。

「エルトゥールル号」事故から九十五年経った1985年のテヘラン邦人救出劇編は短いながらもコンパクトによくまとめられていました。ムラトが日本人女性の春海(この名も意味深です)に、じっと顔を見つめながら「君には何処かであったような気がする」とつぶやき、春海も「私も」というところは、何世代も時を経ても命から命への繋がりが現代に至るまで続いている事を私達日本人に伝えているような気がしました。

ネット上で知りましたが、今年の12月3日、日本・トルコ友好125周年とこの映画公開を記念して、串本町沖の海中に高さ2.8メートルのトルコランプが設置されたそうです。


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クリスマスの思い出映画「汚れなき悪戯」から「キリストの秘密」まで [映画]

今日は12月22日、クリスマスまであと少しです。クリスチャンではないけれど、日本でもすっかり師走の催し事となっていて、なんとなくキリストの誕生日なのだと思いをはせたりします。この世で一番迫害を受けた人が、この世で一番愛される人になろうとは、クリスチャンならずともこの世の不可思議な摂理を感じます。

これまでこの日を何十回と過ごしてきましたが、最近では過去のクリスマスの思い出を振り返ることが多くなりました。その1つが映画「汚れなき悪戯」にまつわるものです。私の幼年時代は、まだ日本もこれほど物質面では豊かでなく、余程の家庭でないと煌びやかなクリスマスツリー、豪華なケーキ、ましてやクリスマスを目的としたパーティ等なかった時代です。我が家もそれなりに貧しくかったと思いますが、クリスマスイブの古い写真が一枚残っています。部屋を暗くして、ろうそくを立てた小さめのデコレーションケーキを前にとんがり帽子を被った4才くらいの私が写っています。ずっと後に、姉から聞いた話では、その頃私は病気で死にかかったことがあり、「あの時はなんでも買ってもらっていたよ」という時らしい。わざわざクリスマスケーキを用意してくれた両親を想うと今更ながらに胸が熱くなります。


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時が数年経ち、クリスマスの朝(記憶が曖昧ですが、多分小学低学年のとき)、三人姉妹だった私たちの枕元に一枚のレコードが置かれていました。それが「汚れなき悪戯」の今でいう映画のサントラ盤でした。その頃福岡から田舎に移り住んでいた私には、子供ながらに都会の香りがしました。何度も聴いたそのメロディーは耳から離れず、今でも歌詞はともかく口ずさむほどです。レコードの音楽に慣れ親しんだあと、近くの古い映画館で「汚れなき悪戯」を観たわけです。

主人公のマルセーリーノよりは何才か年上でしたが、彼のあまりのあどけなさ、汚れのない純な心に涙を流したことをよく覚えています。今回、ネットで検索してわかったのですが、原題は「マルセーリーノ パンとぶどう酒 」で、映画のストーリーそのものを表していますが、邦題の「汚れなき悪戯」の方がより相応しいと思いました。当時の私は、これはきっと奇跡の実話と思いましたが、元々は14世紀のイタリアのウンブリア州にあった民間伝承の話がベースになっていて、イタリアではなく1955年製作のスペイン映画だったことも分かりました。当時のスペインは例のフランコ将軍支配下にあり、検閲も厳しい中でのこのいわば宗教的な映画がヒットした背景を考えると、俗世間の表裏も考えさせられますが、マルセーリーノという幼子の純白な心がキリスト(キリスト像)の愛に直接触れることのできた奇跡に感動します。孤児のマルセーリーノが修道士たちの愛情に包まれていながらも、未だ会ったことのない母親を思慕する気持ちは、色々な悩みを持った「彷徨える子羊」の人間が、未だ見ぬ神、キリストの存在を求め続ける気持ちと同じだと思うのは考えすぎでしょうか?

こんなクリスマスの思い出に浸りつつ、本棚の「キリストの秘密」(光田 秀訳)の本を手に取りました。以前、光田氏からお聞きしたお話を断片的に思い出したからです。その時一番印象に残った事は、「何故キリストは、いくら貧しい夫婦からだと言え、馬小屋で生まれたのだろう?」という長年の疑問に対する答えでした。それは、人間の手垢で汚れたベッドではキリストはこの世に誕生する事はできなかった、ということです。それを聞いて納得できました。

この本は、神学者のリチャード・ヘンリー・ドラモンド氏が、あの眠れる霊能者、エドガー・ケイシーの【リーディング】を元に現代の我々が知りえぬキリストの姿、秘密を紹介していて、クリスチャンならずとも大変興味をそそられる内容が随所に書かれています。本の帯には、【キリストの行動を詳細に透視した驚異のレポート】とあり、期待は裏切られないと、私は思います。


ここで幾つか触れるとすれば、信じる、信じないは別として、

①キリストは約2千年前に初めて出現したのではなく、それまでに地上で何度か人間として受肉していた
(全部で30回受肉していた)

②キリスト降誕の準備で、地上での準備はエッセネ派と呼ばれたユダヤ人の宗教一派によってなされた

③【リーディング】によると、マリア自身のの処女降臨を断言し、つまりマリアの母アンも人間の男を知らずしてマリアを産んだと言っている

この前後の話も大変興味深いし、スピルチュアルなものに抵抗がない方には是非お勧めの本です。

「キリストの秘密」は観念的な話ではなく説得力がありますので、また別の日に書いてみます。


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