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京都発、字幕翻訳家・戸田奈津子氏、トム•クルーズ他3名との交友を語る ー その② [芸能やエンターテイメント]


戸田さんがハリウッド俳優との交流の一番手に挙げたのは、40年来の友人【リチャード・ギア】でした。彼は敬虔な仏教徒という一面を持つ、知的でスピリチュアルな人柄だと伝わってきました。

戸田さんのお話は続きます。以下はその要約です。( )内は私の言葉や補足です。

2番目に紹介するのは、【ロビン・ウィリアムズ】です。彼は元々スタンダップ コメディアンとしてキャリアをスタートしたように、2時間もアドリブで話せるコメディアンです。天才的な人、生まれもってのエンターテインナーです。とにかく頭の回転が速くアドリブを連発します。皆さんが知っているように、数年前にあんなことになりましたが……、(とちょっといいよどんで) (彼は2年前に自ら命を絶ちました。) 何度も家族(5人)で来日しました。元々サンフランシスコ出身の人で、死後数ヶ月してサンフランシスコで追悼式があり、自分も招かれていきました。友人、仲間が集まっての本当にいい式だった。お友達もやはりコメディアンの人が多かった。明るく笑いのある集まりだったが、最後はみんな泣いていた。(戸田さんは別のテレビか雑誌で、ロビン・ウィリアムズほど人柄の素晴らしい人はいないと言っていましたが、本当に周囲に人々に愛されていた方なのだと聞いていて感じました)(戸田さんは自殺の原因には触れませんでしたが、「人には寛大な人、自分には厳しかった人」と評されたのが印象的でした)



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3人目は、名優、【ロバート・デニーロ】です。彼こそ名優中の名優です。非常に競争の激しい映画界の中を生き抜いていくというのがどんなに大変なことか!ハリウッドの世界を目指す俳優の卵たちにアンケートをとると、男性なら10人中9人がデニーロのような俳優になりたいと答え、女性なら、10人中9人がメリル・ストリープみたいな女優になりたいと答える。それほどデニーロは俳優の 卵たちの憧れ、目標になっている。彼は今までの作品を見ると、極端に走る役が多いが、実際はそうではない。彼のことで、いかに先入観や予備知識で付き合ってはいけない、と思い知った。(ここは強調されていたので印象的でした)

デニーロは、スコセッシ監督が「レイジング ブルー」の映画を撮った時に初めて日本に来た。その際は、スコセッシ監督、デニーロ、あと一人有名な俳優(正確な名前が出て来ません)から成る、スコセッシ一家(スコセッシが親分)で 行動することがあった。京都の四条のパチンコ屋で 3人が興じているなんて、彼らを知る人が見たらなんとも豪勢な感じだったことでしょう。その7年後(5,6年前)、いきなり自分(戸田氏)に連絡が入り、来日するから箱根に行きたいと要望があった。これには驚き動揺したが、多分、ロビンから私の連絡先を聞いたのでしょう。この時は仕事ではなく、プライベートの旅だった。いろんな手配やらで大わらわになったが、だいたい彼らあたりになると、プライベートジェット機でやってくるため、予想以上の数十の荷物を箱根まで一緒に移動しなければならず、その荷を運ぶ車の手配だけでもとても苦労した。(デニーロも何度か結婚している人なのか)今の奥さんの子供が3人いて、京都に来た時、子供達がどうも忍者をみたいというので、太秦(映画村)に連れて行った。1つのコーナーでいかにもアマチュアっぽい芝居をやっていたので、「あなたは見ないでいいです」なんて必死で説得して、デニーロは一人車の中で本を読んで待っていた。



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ここまで戸田さんのお話を聞きながら、あらあら、肝心のあのお方が出てこないのはなぜ?と思っていましたら、さあ、やっとお待ちかねの【トム•クルーズ】の話になりました。

4番目となりましたが、締めはやっぱり【トム•クルーズ】です。

【リチャード・ギア】は知的な親日家、【ロビン・ウィリアムズ】は、天才的コメディアンであり人格者、【ロバート•デニーロ】は名優中の名優、すると【トム】は何でしょう?
彼は「映画作りに命をかける人、大変な努力家」だそうです。あのキアヌ・リーブズが主演の47士をモデルにした映画は時代考証もへったくれもない実にアホらしい作品だと戸田さんは言う。ここまではっきりけなされるとは、この映画は観ていないものの、相当な駄作のようです。それに比べると「ラストサムライ」は日本人が観ても恥ずかしい思いをすることのない出来栄えだと評価される。「ラストサムライ」の主演であり、プロデューサーでもあるトムが日本人俳優たちの意見も十分に取り入れたせいで、日本人が見ても時代考証も満足できる作品になったという。これはひとえに、兎に角少しでもいい作品を作りたいというトムの意欲、情熱のなせる技だという。


あの「トップガン」時には22歳だったトムも今や57歳である。今年11月にもまた来日予定があるそう。彼は、「遥かなる大地」の頃から来日した。日本は大好きだし親日家ではあるが、リチャード・ギアタイプの親日家ではない。その時その時、毎回の作品事に情熱を傾けるタイプで、日本での作品や役目が終わると、次に他の対象物、対象国にグッと集中していくタイプで同じものに固執しない人。

あの「 ミッション インポッシブル」シリーズの直近の作品でいうと、スタントマンでもいいところを人任せにせず、必ず自分でやりきってしまう。映画のシーンの中で、円周型のプール、しかもとても流れの速い水の中を6分半も潜った。潜水の専門家の指導を受け、なんと心臓の心拍数を変えるという技を体得してシーンを撮ったという。

映画のみならず、その映画のキャンペーン活動においても同様に超人的なスタミナです。1日で、勿論プライベートジェット機を使ってだろうが、朝早く7時にロンドンでレッドカーペットの上を歩き、その足で12時にはパリのレッドカーペットに、夕方はニューヨークにいる、という殺人的スケジュールです。去年の夏は、歌舞伎町で延々と2時間半もの間笑顔を振りまきキャンペーンをやったという。その日は37度だったが、外の照り返しで実際は40度はあったそう。見ているこちらは心配で、さあ、水は?せめておしぼりでも? と気が気でなかったが、頑として水一滴も取らなかったという。曰く、「スターは汗などかいてはいけない」らしい。

戸田さんは、トムのプロ意識に圧倒されていました。

以上、戸田さん曰く、古くて親しい俳優たちとのなんとも羨ましい交流ですが、数回重ねて言われていたことがあります。 これら4人のトップ俳優たちに共通して言えることは、皆一様に、人間的に素晴らしいし、とても謙虚である、威張ることは一切ない、気持ちのいい人、ということでした。

いつかテレビでなく生の戸田さんのお話を聞きたいという願いが今回叶い、とても嬉しいです。多分80才を超えておられるはずですが、とてもにこやかでソフトな品のいいレディでした。シルバー色の大きな腕輪が特に素敵な装いでした。

戸田さん自体がとても旅行好きな方ですが、これからも京都にプライベートでも、また著名な俳優たちとのお仕事でも来られることでしょう。その場面に遭遇できたらラッキーです。


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京都検定1級ガイド武井氏による妙心寺と鹿王院見学 [旅、観光]

9月22日秋分の日(木曜日)、あいにくの雨模様の中、JR花園駅で13:50時に集合し、そこから近い妙心寺に10分程歩いて行った。


実は、この日の催し《京都検定1級ガイドが語る京都再発見の3つの旅ーその3》のことをすっかり忘れていた。昼前にカレンダーをぼんやり眺めていると思い出し、慌てて準備してギリギリ待ち合わせ時間に間に合ったのだった。ガイド役武井道郎氏は《その1》の講座でお会いしていたが、集まった10数人のメンバーはほぼ中年の女性で、お世話役のYさん以外は初対面の人たちだった。


先ず、初めて妙心寺を訪れた。妙心寺は臨済宗大本山で、1つの寺町を形作っており、なんとこの敷地内に46も塔頭があります。その1つの寺院、【退蔵院】は応永11年(1404年)に建立された古刹です。
【退蔵院】という名は変わった名前だと思ったら、経典の中の語で陰徳を積む、という意味だそうです。妙心寺は聞いた覚えがありますが、【退蔵院】の存在は今日の日まで知りませんでした。入り口に立つ山門は、後から帰る際に武井氏から説明を受けましたが、屋根の中央の梁とわざとずらした梁がついていたので薬医門の作りです。山門をくぐり、拝観受付所で【退蔵院】のミニパンフレットを受け取り、正面にある通常非公開の庫裡(くり)の中に靴を脱いで上がります。右手に守護神の韋駄天の像が祀られています。


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その先に本堂の方丈があります。ここは、応仁の乱後1597年に再建された建物で、かの有名な宮本武蔵が『瓢鮎図』(国宝)の軸の前で座禅をしていたところと聞きました。禅と剣の道には共通点があるのですね。ここで見た『瓢鮎図』は模写ですが、日本最古の水墨画と言われています。漢字が表すままに、一人の人間が手に瓢箪を持ち、その小さな細い瓢箪の口に池の鯰(鮎)をなんとか入れようと構えている図です。同じ図の上部には、瓢鮎図の表す禅の公案への京都五山の高僧31名の回答が書かれ、印まで押されています。武蔵はこの絵の何に惹かれてここに居して座禅をしていたのでしょう?


どこかで聞いた『瓢箪なまず』のような人、という意味は、捉えどころのない、何を考えているか分からない人間、という意味になります。武井氏は、瓢箪に鯰を入れるという禅の公案に対する高僧の回答から4つほど取り上げて詳しく原文の漢文を解説してくれました。見学グループの一人一人が図の中の人間の顔をじっと確認する時間がありました。というのも、その顔が人の顔というよりは、猪八戒のような、狸のような特異な顔をしているからです。大きな瓢箪の中に大きな鯰をいかに入れ込むか、という一見不可能な問いかけをしているのですから、水墨画の達人、如拙も普通人の顔でなく、こういう顔の描き方を選んだのでしょうか?


この方丈の部屋の窓からは、室町期の画聖、狩野元信(狩野派始祖・正信の長男)の庭を見ることができました。小ぶりの雨が降る中に、枯山水の庭園をじっくりと眺めていると、昔の日本人の美意識、感性が伝わってくるようです。庭の背景には常緑樹を主に植えて不変の美を求め、自然の岩や真黒石や砂利で理想的な世界を表現し、訪れる人と共鳴し、御もてなしをする技に心が癒されます。武井氏の詳しい説明があって初めて作者の元信が描いた全体像が少しづつ見えてきましたが、この庭全体で、蓬莱神仙の世界を、一幅の絵のように山水画のように表現しているという。


右手奥の方に、先ず遠山石を置き、そこから水が流れ出て、二段構えの滝になる。滝は自然に縦縞模様の立石で表し、その滝から溢れ飛び散る水を平たい黒々とした色の真黒石(まぐろいし)で表す。滝は、禅の修行の厳しさと大切さも説く。滝が流れ出た川は大海となる。その中央には亀石で表す亀島がある。この亀島は左を向くと共に、水の流れの向きに向いている。さらに先には、本来あるはずの鶴島の遺構と思われる石組がある。亀島、鶴島で不老不死の仙人が住む理想郷を表す。庭園の奥には、築山があり、蓬莱石と蓬莱連山が配置されている。この庭全体は常緑樹が植えられ深山幽谷の世界となる。これは一幅の山水画を見るようである。

この庭を鞘の間という部屋から座して眺めるのが一番ゆったりできる。かなり時間をとって鑑賞することができました。この頃から雨が激しくなり、小雨になるのを待つために鞘の間でしばらく待ちました。


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今度は一旦外に出て、ガイド氏の後に続きますと、別に仕切られた大きな庭の入口に来ます。木の門をくぐると直ぐ目の前左に《陽の庭》と右には《陰の庭》が現れます。陽は明るい白砂利、陰は黒っぽい砂砂利が敷き詰められ、箒で水の流れのような筋がつけられていました。2つの庭を真ん中で分かつのは大きな大きな紅枝垂れ桜です。背の高いテント程の大きな傘状の木なので、この中に何人もの人がすっぽりと入れます。この桜伝いに奥に進んでいくと、パンフレットであらかじめ聞いていた《つくばいと水琴窟》の脇に出ます。手前の東屋は残念ながら立ち入り禁止でした。直ぐ先に売店や茶席のある《大休庵》があります。世話役のY氏はここで精進料理をいただいたことがあるそうです。


ここを通り過ぎると、目的の《余香苑》が一望に見渡せます。
『昭和の小堀遠州』と言われた中根金作氏による【余香苑庭園】を鑑賞しました。1961年に作られました。中根氏の他の作品としては、足立美術館庭園、城南宮楽水苑が有名だとのこと。ここは元々竹林が鬱蒼と生えていた場所らしい。竹に寿命があるとは初めて聞きびっくり。竹は50,60年に一回、花を咲かせて枯れていくらしい。一斉に枯れた後、この庭作りが始まったらしい。この庭はやや下方から上方の滝を眺め、視線を落としていくパノラマ的な作りになっている。それが自然に素直に受け入れられる風景である。先ほどの室町期の元信作の庭園を眺めた後に、この昭和の庭を見ても格段の違い、違和感は感じない。ここでも滝石組が一番のポイントになっており、刈込みの全体のバランスと空を借景とした《昭和の名園》と称される。

先ほど庫裡から方丈に進んだと言ったが、実はその前に書院という広い部屋に行き、座敷用の椅子に座ってお寺の方(女性)からこの妙心寺の説明を受け、書院の一角にある隠れ茶席の【囲いの席】に案内された。わずか2畳ほどの広さだったろうか。客人は3名しか入れない。禅を第一とする妙心寺では、茶の道を禁じた時期があった。ところが、密かに茶室を作った人(和尚さん)がいて、それを今日見学できる。躙り口(にじりぐち)は設けず、茶席があるとはわからぬように設計されていて、それほどまで茶を味わいたかったのかとお坊さんに人間味を感じてしまった。客人が入って来る上がり口は庭に通じていて、飛び石も手を洗うところもあるから、見る人から見れば直ぐに茶室の存在は知れてしまうのだろうが。床の間を付けるスペースもないから、軸を1つかけられるくらいの茶室です。お茶好きの方には中々面白い趣です。


さて余香苑を堪能した後、【退蔵院】を後にして、雨の降る中を歩いて【法金剛院】に向かいました。10分くらいだったでしょうか。この時午後4時くらいでしたが、【法金剛院】の正面の門がピタリと閉じられていました。ガイドさんの話では、雨脚も強くて時刻も遅くなりもう今日は誰も訪ねてこないだろう、と閉めたのでしょうと言われました。えーっ!予定に入っていたのにどうするの?と内心思いましたら、武井氏は慣れた感じでタクシー2台で近くの【鹿王院】に案内されました。【法金剛院】も【鹿王院】もこれまた行ったことのない院ですが、【鹿王院】はなんと足利三代将軍、義満が建てた禅寺でした。この鹿王院という名前からあの有名な義満が建てた【鹿苑寺 金閣】が直ぐに思い浮かびます。字数が多くなりますので、ここでの見学と感想は、別の機会に回します。

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京都発、字幕翻訳家・戸田奈津子氏、トム・クルーズ他3名との交友を語るーその① [芸能やエンターテイメント]

今月、9月16日、京都市の《ロームシアター京都》で 【京都創造者大賞2016】授賞式がありました。その記念講演に字幕翻訳家・戸田奈津子さんがゲストとして招かれ、特に親しい友人達、ハリウッド俳優4名との交友エピソードを直に聴ける機会がありました。

会場は思ったより小さめで、中央寄りでいちばん前列に座ると、目の前には、この大賞の選考 委員会の委員長を務める裏千家前家元の千玄室氏、山田京都府知事、門川京都市長等錚々たるメンバーが着席しておられ、ちょっと身が引きました。メインの授賞式は、予定通り2時に始まり、各部門の表彰があるためたっぷり3時近くまでかかり、司会者の簡単な紹介の後、待ち望んでいた戸田さんの登場です。


最初に、「アートには直接関係がなく、私でいいのかなと思いますが……」と切り出され、「今日は、古く親しい4名の俳優について、京都に関わるエピソードを紹介します。」と語り始められた。ハリウッドの有名俳優、リチャード・ギア、ロバート・デニーロ、ロビン・ウィリアムズ、そして最後は矢張りあのトム・クルーズの話でした。

戸田さんは言うまでもなく、日本で一、二を争う字幕翻訳家ですが、映画人、俳優たちの来日時の通訳は趣味でやっていて、これまでに千人くらいは会っていると言われます。その人が長年の友人4名を取り上げ、ここ京都で話をすることを踏まえ、京都でのエピソードを語ると言われるので興味深々でした。


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⑴ 最初に挙げた俳優は、ちょっと意外でしたが、リチャード・ギアでした。

彼ら俳優は、アートに携わる人たちなので、美しいものを見る目があり、普通の人以上に理解していると思う。京都がどんなに愛されているか感じます。

リチャード・ギアは1980年に初めて京都に来た。1980年といえば、「アメリカン・ジゴロ」で名を売った時です。その後は彼とは家族ぐるみで付き合っている。最近もメールを送ってきてくれた。あれからもう40年近くも経ったのよ、信じられないとお互いに言った。彼は10年前結婚しました。デビューした当時、自分に迷っていて、禅を勉強していた。大学では(なんと)哲学科専攻だったし、知的なものに関心がある人。きょうとでは、人の多い清水寺とか銀閣寺とかでなく、人の来ない静かな庭のあるところ、わび、さびのある所が好きでよく行く場所(寺)がある。最初あるところを訪れた際、【I was here.】と呟いたので、最初は「えーっ!?」という感じで直ぐには意味がわからなかったが、「自分は前世に此処にいたことがある」という意味です。ある意味、実は日本人だと考える人です。


彼のお気に入りの場所は、【龍安寺】、【桂離宮】、【 ○○○】の3つです。(3つ目は聞き取れませんでした) 例えば龍安寺では、石庭を見て1時間ほど黙っている。桂離宮では、写真を撮りまくっている。モノクロのいい写真を撮ります。毎年、クリスマスカードをいろんな写真の寄せ集めで作り、それを送ってくれる。ある苔寺は、写経をしないと庭に入れないのだが、リチャード・ギアがそこの庭の出口近くにいつも瞑想をすると決めている狭い一角があり、じっと一人で長い間過ごす。(戸田さんは彼の自宅にも行ったことがあり)ニューヨークにある敷地に、何処からどう持ってきたのか苔が敷いてあった。それをとても大切にしていて、家族であれ、誰であれ、苔に触るな?というほどだという。


(私も以前彼に自伝を少し読んで知っていましたが) リチャード・ギアは仏教徒に改宗していて、戸田氏曰く、「彼は完全に仏教徒です。」毎日朝夕のお勤めをし、年に一度はダライ•ラマ14世に会いにインドに行き、修行している。

京都に来た時もよく仏像を見に行くそうで、ある骨董屋のおじいさんとは通う内に親しくなった。お客さんが有名なアメリカの俳優だとは知らないおじいさんは、リチャードの知識の深さに「よく知ってますなあ!」と感心するほどだった。そのおじいさんは数年前に亡くなられたとか。


次に紹介されたのは、以前テレビでも戸田さんがその人格を褒めておられたロビン・ウィリアムズです。次回のブログで書くことにします。


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スコセッシ監督、遠藤周作著「沈黙」を映画化••••••キリシタン史跡【鈴田牢】 [芸能やエンターテイメント]

ネット上で、ハリウッドの有名なマーティン•スコセッシ監督が遠藤周作著の「沈黙」を映画化し、いよいよ今秋11月にアメリカで公開することを知り、驚きとともに、嬉しさと期待がじわじわと湧いてきた。

おぼろげながら、6,7年前だろうか、同監督が「沈黙」の映画化に動き始めたというニュースを、やはりネット上で知り、とても興味を惹かれたのが蘇ってきたからだ。その後暗礁に乗り上げたというか、何が原因なのか立ち消えになり、がっかりした覚えがあった。監督は本気だったのですね。「タクシードライバー」などの作風からは、宗教や信仰の苦悶と監督のイメージが結びつかず謎に思えたままだった。

今回、ネット上で検索しているうちにその謎が少しずつ解けてきたように思える。マーティン•スコセッシ氏は風貌から予想していたが、両親が共にイタリア人移民のイタリア系アメリカ人でニューヨークのリトルイタリア育ちらしい。遠藤周作氏はこの本「沈黙」を1966年、つまり50年前に書き上げた。スコセッシ氏は、今から25年前に読んだという。何と少年時代はカトリックの司祭になる道を目指していたという。 あるウェブサイトでは、【牧師】と書いてあったが、これは誤りだ。なぜなら、両親はカトリック教の大元のイタリア出身だから。牧師という名称はプロテスタントの用語です。
兎も角、司祭、神父という職業を選ぼうとしていた人にとり、「沈黙」を続ける(かのような)神、信仰に生死を賭ける究極の場面は胸に迫るものがあるはずです。


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ウィキペディアを読んでいくと、特に3つのことが意外でした。
① 司祭(神父)の道を目指していた(前述の通り)

② 黒澤明を初め、溝口健二、今村昌平、小林正樹監督の影響、感化を受けていること
黒澤明の映画「夢」には、ヴァン・ゴッホの役で出演していた程黒澤ファンだったのですね

③ イザベル・ロッセリーニを含めて5度も結婚歴があること
***イザベル・ロッセリーニはあの有名なスウェーデン女優 イングリッド・バーグマン の娘です


映画の配役には、ベテラン俳優のリーアム・ニーソン、アンドリュー・カーネーギー 、日本からは、ハリウッドには馴染みとなあっている浅野 忠信、若手の篠塚洋介という豪華な出演者が揃っています。その他の脇役にも、どんな役者が配されているか、今から日本での公開が楽しみです。その前に、1971年製作の篠田正浩監督の「沈黙」をレンタルビデオで見ておきたいと思います。どういうわけか公開当時見ていなかったのが惜しまれますが、そのせいか当時のこの映画に対する評価もほとんど記憶にありません。スコセッシ監督がこの映画を観たのか興味のあるところです。


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この映画に対する期待感が湧いてくると共に、原作者の遠藤周作氏のお話を一度聴いたことを思い出しました。1977年か1978年に、主催者も講演のタイトルもすっかり忘れていますが、逆算すると遠藤氏が54,55才の時でした。1966年にすでに「沈黙」を出版されていましたが、小説の題材の隠れキリシタンの里, 長崎(外海地区)によく来られていたようで、講演の中でも長崎という土地柄を気に入って盛んに褒め持ち上げられていたので、これは半分は社交辞令かなとちょっと割引して聴いていたことを覚えています。没後、平成12年5月、ご遺族の意向もあり、上記の外海地区に「遠藤周作文学館」が開館されたことを知った時は、遠藤周作氏と長崎の深い縁を感じました。

講演当時は、シリアスな作家というよりは狐狸庵先生というニックネームを持った作家としてとても人気がありました。成る程、話がユーモラスで時には笑いながら楽しく聴いた雰囲気を覚えています。余談ですが、遠藤周作氏のほかに、女流作家の杉本苑子氏、豊田穣氏のお二人も同じく講演され、それぞれに聞き入りました。


「沈黙」の中では、信仰とは何か、そもそも神とは何か、神と人間との関係は? という根源的な問いがあります。信仰する者にとって、しかも指導する立場の神父にとって、願いが目に見える形で聞き届けられないことが、むしろ人間にとって幸いなのか? 絶望なのか?
•••神は呼べども答えず、沈黙のみ。
•••信仰は時には自分の人生どころか、生命さえもかけないといけない時がある
•••神の沈黙に主人公はどういう生き様を選ぶのか?


遠藤周作氏は多分調べておられたでしょうが、スコセッシ監督は外国人宣教師やキリシタン達が閉じ込められていた牢屋の跡が長崎県大村市の郊外にキリシタン遺跡の1つとしてあることをご存知でしょうか?それは【鈴田牢】といいます。この地を含む大村藩は元々はキリシタン大名の治めるところでしたが、江戸時代の初め、キリシタン禁令によりキリシタンの迫害、処刑が行われたところです。この【鈴田牢】のあった場所は鈴田川が大村湾に交わる河口付近で、今でも小高い山、白い鳥が降り立つ川、波の無い穏やかな海面が一望に見渡せる、実は私のお気に入りの場所です。現代でさえこんなに自然の美しさが味わえる風景ですから、ちょうど4百年前は、どれほど素朴で海、山が感じられたことでしょう!車や電車で通る時はじっと目をこらす風景です。この美しい風景の一区画に、ほんの一部分にキリシタン達が5年間にわたり閉じ込められていた牢屋が存在したとは!このアンバランスと違和感、非情な事実に驚かされます。


この【鈴田牢】にまつわる話はかなりあるため、別の機会に回したいと思います。キリシタンの歴史に興味がある方、今回のスコセッシ監督の映画を観られる方など、興味のある方は是非【鈴田牢】跡地を訪ねて見られたら如何でしょうか?


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「トルコの現在」•••••【Front Japan 桜】で語る有本 香氏 [社会]

1日遅れで、9月9日配信の【Front Japan 桜】を見た。
キャスターが、ジャーナリストの有本香さんとグラフィック•デザイナーの木坂 麻衣子さんだったからだ。お二人とも滞在を含め海外経験が豊富な人物です。

トピックの前半は「トルコの現在」で、3度旅行したことが有り関心を持つ国なので二人の掛け合いの話に聞き入った。番組が収録された前日に、有本さんはトルコから帰国したばかりで、直近のリアルなトルコ事情が聞けた。

大きなテロの多発、加えて今夏の反エルドアン大統領のクーデター勃発、とメディアからみるトルコは、今や危険で不安定な社会状況に置かれている。と思っていたら、有本さんによると、かえって警戒が万全で、ある意味安心して動き回れたらしい。これは、2008年夏、ロンドン市内でテロがあった直後にイギリスへ一人旅立った私の感覚と同じで、成る程と共感を覚えた。あの時旅行に行くことに周囲の人たちの中に「大丈夫ですか?」と声をかける人がいたが、共通して言えるのは、日常的に安全で安定した生活と職業を持つ人で、「何か面白いことないかい、子猫ちゃん?」という好奇心やチャレンジ精神はなさそうなタイプだった。有本さんも確か言っていたように、100パーセントの保証はないが、警察官が多いと旅行者は安心だと思う。最初に訪ねたロンドンでも他の市や町でも警察官の姿がよく目に入り、道を尋ねるにも便利でした。


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***観光立国、トルコ***

さすがにテロの後、ヨーロッパからの観光客は減り、今回は日本人には全然会わなかった程だが、夜間も人出が多く、それはトルコの周辺国、アラブ諸国の人々らしい。彼らは、同じイスラム教徒でも世俗主義が売りで(お酒もOK!)、多文化融合のトルコに遊びやショッピングにやって来ている。一方、ロシアからの観光客も多いらしい。歴史的に見ると、ロシアとトルコは戦争や軋轢があったが、観光面ではそうも言えないウィンウィンの状況なのだろう。ロシア人はお金は使わないが数は多いと有本さんは言う。そう言えば、というわけでもないが、7年ほど前にイスタンブールの宿に泊まった時も朝の食事で若いロシア人のアベックと連れの女性が話を交わしていたのを思い出す。

***トルコの経済、政治***

これまで長い間、トルコはEUの仲間入りを願ってきたが、イスラム教国という理由が最大だろうが弾かれてきた。しかし、今では観光立国という顔以外に産業国としても自国に自信が出て来た。それは観光地の旧市街でなく、ビジネス街のある新市街を見るとよくわかるそうです。このオフィス街にはあのトランプタワーも建っていると写真が紹介された。下の階はテナント、上階は住居用らしい。街には、アメリカンドラマに出てくるようなyoung rich やnew rich を見かけるそうだ。社会変化、ライフスタイルの変化はまず女子が変わることで感じることができると有本さんは言う。女性はファッションに敏感ですからね。

先頃、G20の会議が開催されたばかりだが、オバマ大統領が第一に会ったのは、トルコのエルドアン大統領だったとは知らなかった。アメリカのISIS(自称イスラム教国)に対する攻撃に協力するという承認を取り付けるためだった。エルドアンに対する一般市民の評価は、積極的に支持はしていないが、あのクーデターはもっと支持しない、という有本さんのレポートだが、ここでは、クーデターそのものへの客観的評価はふれられず、私としても理解不足、情報不足だった。テロやクーデターなどで被る観光収入へのダメージはあるはずだが、観光にもある程度保証がなされているとのこと。滞在中、アルメニア人たちのデモを目撃したことからも、少なくともデモの自由はあると分かる。タクシム広場で一般のクルド人に尋ねたところ、自分たちへの差別はないわけではないし、利権もトルコ人が取るが、自分たちはやはりトルコ人だという意識を持っている印象を持ったらしい。(まあ、100パーセント本音かどうかはわからないが、、、)

トルコは世界の中でも大変な親日国で、トルコ料理は世界三大料理の中の一つと言われるほど美味です。旅行先でたまたま知り合った人、声を掛け合った人たちのことを思い浮かべると、テロや周辺国との紛争がなくなるようにと祈るばかりです。


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佐藤優氏の「手帳クリニック」•••••President Online のコラムから [日記・雑感]

ネットサーフィン中で、President Online のコラムに目が留まった。
元々、President の2015年8月3日号 に出た記事が今日の9月7日付で掲載されたとわかった。

タイトルは、【佐藤優氏の手帳クリニック】です。

佐藤氏は元外務省主任分析官で、作家(1960年生)で、以前より普通人から見れば超人的な読書家として知っていました。その人物の手帳ですから自ずと興味が湧きます。以下は、要約したものです。

予想通り、先ず、その仕事量に驚きました。

原稿書き: 月 1200枚

面会者 : 月 130人

インプット : 1日 4時間 ( 情報収集、読書、語学 )


これだけの仕事量のスケジュール管理や情報管理を一般学生が使う【コクヨのノート】一冊でやっているのにまた驚きです。このノートの他には、中長期の予定の為【手帳】を使って、デジタルではなくアナログ管理をしている。

❶《1ヶ月のスケジュール》について

前述の【KOKUYO の CAMPUS ノート】を使う

最初の見開き2ページ ー 1ヶ月のスケジュール書き込み
左側 ー 原稿の締め切り 右側 ー アポの予定

その他のページ ー あらゆる書き込みをしていき、1,2ヶ月で使い切る

(注)スケジュール管理ページは4ヶ月分の予定を書き込むため、最低4~8冊は手元に置く

佐藤氏も、以前はデジタル管理をやってみたが、かえって効率が落ち、自分個人の仕事には他人とデジタル共有の必要なし、という結論。

私には特異というか、特徴的な使い方だと思えた所 ー あらゆる情報を書き込む

例 * その日の出来事
* To Do リスト
* ふと浮かんだアイデア
* ロシア語の練習
* その他あらゆるメモ

といったすべてのことです。
こういうメモは、仕事上遡るのは100日前までなので、量的にはアナログで十分。

《例外的なデジタルツールの利用》

Dropbox ー 単行本のゲラ
Evernote ー 名刺や紙の資料のスキャン

注意! 入れる情報の取捨選択


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❷《スケジュールは2年手帳を使う》

佐藤氏は、【博文館新社の2年手帳】(こげ茶)を使う

ここで繰り返しになるが、
ノート ー 予定以外の全記録
手帳 ー 未来の予定

佐藤氏の持論? 夢や目標は、基本的に自分の頭の中に刻み込まれているはず、だから手帳に書く意味はない。書かないといけないようなら、無理やウソがある

❸《1日を振り返り、記録する》

1日のメイン ー その日の出来事
何時に起きて、誰と会って何を話したかなど、仕事、プライベートに関わらず
細かく書く

ノート一冊に時系列に書くと、後から必要な情報が自分の行動記録とリンクして引き出しやすい。

外務省時代 ー 秘密の仕事上、記録はリスクになる
作家業 ー 記録そのものが武器

*****行動記録は、東京拘置所に入り、暇が有り習慣づいた

毎日の行動記録 ー 可視化すると、不要な仕事や非効率な時間の使い方が把握できる
⇨時間の使い方が上手くなる


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❹ 《1日4時間はインプットを!》

【佐藤氏曰く】 自分はshort sleeper だが、限られた時間の生産性を高める

原稿書き ー 【夜】より【朝】!(朝が基本的に質のいいものが書ける)
所要 ー 時間集中できる所まで書く、最低3~4時間。調子良ければ、10時間以上

集中力の途切れた時の対処法 : ① 飼い猫と遊ぶ
② 喫茶店に行く( 読書、語学、数学をやる)
**読書では、マハン、ホーファー、マッキンダー著の地政学の本
(そういえば、9月8日の【虎ノ門ニュース】で確か青山繁春氏も地政
学の大切さを話されていたのが印象に残っています)

1日のアポの数 ー 一件につき3人程会う(月 120~130人)
【佐藤氏曰く】 50代以降、新しい人と会う意味はない。この年齢で人脈開拓というのは、ろくな人脈
が無いという裏返し、また、時間の無駄。

❺ 《明日できることは今日やらない》

おやおや、あの有名な格言「今日できる事は明日に延ばすな」と反対ですね!?

【佐藤氏曰く】 前倒しの発想はかえって管理が難しい。緊急の仕事と先送りしていい仕事との区別が
曖昧になり、目の前の仕事の多さにパニックになる
仕事にはタイミングがある。基本的には、締め切りの当日に書く。土壇場でテーマを
変える時もあり大変だが、話題が古くなるより良い。いわば綱渡りの仕事はリスクが
あるが、綱から落ちなければいい。

佐藤氏は、緊張感を持ってギリギリの状況で書くのを良しとされているのが分かる。


《足りない時はお金を払う》

さて、佐藤氏は確か4,5ヶ国語(それ以上?)を操る語学の天才と読んだことがある。

最後に、社会人が短期で語学の成果を得るためのアドバイスなるものが佐藤氏の実生活を通し3つ出されます。

【アドバイス】 ① 理想の条件 : お金を払い、マンツーマンのスクールに通う
② 教師の条件 : ネイティヴであるのは勿論、トップクラスの教育を受けている人
③ 緊張関係の学習 : 個人契約ではなく、スクールを通す

【佐藤氏のチェコ語のレッスン】
① 時間 : 1時間15分
② 授業料 : 1万円/ 時間
③ 内容 : ヤン・フス著 「教会について」(チェコ出身、宗教改革者)


*****感想*****

以上、佐藤 優氏のスケジュールや毎日の管理方法を本文より短めにまとめたつもりですが、結構な量となりました。私にとって役に立ったこと、確認できたことは、
① 現在活躍中の作家の実際のエネルギッシュな仕事ぶりが分かったこと
② これまでの仕事や生活の管理が上手く捌けず、もやもやしていたのですが、とにかく1冊の
ノートにスケジュールも何もかも時系列に書き入れていく点が、余計な神経を使わずに続け
られる気がしたこと
(大小別、項目別、月別 などと分けると上手くいかない経験がありました)

さあ、これからは管理の管理に頭を悩まず、一冊に書き込んでいくとしましょう!


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関根勤さん• 心臓手術後の健康プロジェクト•••••【ヤマブシタケ】は「マドンナのヘアースタイル」? [医療と健康]

9月3日、朝から『サタデープラス』の番組を見ていたら、お笑いタレントの関根勤さんが出演していた。今年の6月になんと心臓手術を受けていたとのこと。しかも、2泊して退院、その翌日から仕事に復帰できたと知って驚きました。最近の医学は進んでいるのですね。

バイパス手術なら数ヶ月入院が必要
ステント手術なら2日だけ入院

というわけで、関根さんがステント手術を受ける直前の様子も紹介されていた。手術後、3ヶ月経った今の健康状態は良好らしく、舞台や好きなゴルフでもはっきりと体調、体力が改善したと本人は語る。関根さんの手術を見た視聴者からの反響や共感が多く、自分も手術を受ける勇気を貰ったという人、実は私も手術経験者だとカミングアウトする人も関根さんの周辺に現れてきたとか。


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今後の健康維持の為には、【適切な治療•定期検診】【食事】【運動】の3つの柱がポイントです。
このうちの食事について、番組では『 関根勤の長生きプロジェクト in 長野 』というレポートがあり、日本一の長寿県長野のある特産物が紹介されました。それはキノコ類に属する【ヤマブシタケ( 山伏茸 )】です。この名前は初めて知り興味が湧きました。

元々キノコ類が体に良いことはよく知られていますが、このヤマブシタケの形状や効用は素晴らしいと思いました。


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形状 : 別名『ライオンの立髪』と言われるように、あのエノキダケを縦にもっと細くしたように見えま
す。関根さんは、『マドンナのヘアースタイル』と例えていて笑えました。マドンナが初期の ヒット曲「ライク ア ヴァージン」を歌っていた頃のショートカットの金髪を確かにイメージしました。


効用 : ①「ヘリセノン」という記憶のネットワークを強化する物質を含んでいる。又、
血栓の予防から、認知症にも効くとも言われる

② 「βグルカン」という成分がガンにも効くのではと言われる

販売 : このヤマブシタケは生産される長野の地元では勿論販売されているが、日持ちが良くないので
全国的にはその品が生では販売されていない。ネットで後から調べると、粉末状にしたものと か加工品は作られていーます。やはり、値段はそれなりに高いようです。

料理方法 : チーズのような味がするそうで、人気なのは、天ぷらにして揚げる。
一番旨味が出るのは、味噌汁にいれること。

関根さん曰く、【ヤマブシタケ】があれば、「82才まで長生きして孫の結婚式が見られる気がしました」と締めておられました。

【運動】コーナーでは、背泳ぎをする、ただし、これは床にシートを敷き仰向けになり、まるでプールに浮かんでいるようなイメージで、ゆっくりと片手と反対の足を同時に上げつつ背泳ぎをする、という運動です。その型に合わせてやりましたが、中々良いなと思いました。

高齢化社会となり、健康番組は毎日のようにありますが、今回は未知の【ヤマブシタケ】という食材も知り、運動も知り、なかなか為になりました。


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風間トオルさんの極貧時代••••••••自著『ビンボー魂』を読んで [芸能やエンターテイメント]

芸能人は、幼少時代や若い頃、家庭的にも経済的にも恵まれず非常に苦労した人が多いと昔から聞いています。風間トオルさんは、デビューした時からの爽やかなイケメンぶりや明るい笑顔が印象に強く、まさかこれ程まで両親との縁が薄く、貧困どころか極貧を味わい尽くされた方だとは想像もしていませんでした。2010年,【徹子の部屋】で辛い経験を通り過ぎたように貧乏を自然体で語る姿は観ていたのですが。

この「ビンボー魂」を手に取ると、10年ほど前にやはり同じ芸能界のお笑いタレント、田村 裕さんが出版した「ホームレス中学生」の内容が蘇ってきました。田村さんの場合は、或る日突然家が差し押さえられ、帰ってきた父親のあの「解散!」宣言で、その日から兄と姉共々、弟の裕さんがホームレスになるという、まるで交通事故にあったような衝撃的な展開からはじまりました。

さらにこの「ホームレス中学生」より10数年前には、お笑いタレント、島田洋七さんの少年時代の極貧時代を描いた「佐賀のがばいばあちゃん」が初出版されていました。佐賀の田舎で、小さな川の上流から流れてくる野菜をすくい上げて大事に食べたりと、洋七さんの母方の祖母との二人きりの生活ぶりがその後映画化され、じっくりとユーモラスに語られていたのを思い出します。


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参考までに、これら3つの本を3つの点からまとめました。フィクションではなく【実体験】というところが共通点です。

風間トオル 著 「ビンボー魂」
① 初出版 : 2016年 3月20日
ちなみに、私が購入した時点、8月で、4刷でした。

② 極貧時代 : 5才から高校1,2 年生で部屋を借りる迄(11,12年間)
③ 本を書いたきっかけ : 2010年 【徹子の部屋】で初めて生い立ちを語る
その後の反響の大きさから(中でも明石家さんまさんから「キングオブ
貧乏」などと取り上げられる)
内面的なことでは、「あとがき」にあるように、過去に蓋をせず観察
をすることで両親を許せ、自分を解放できたからカミングアウトした
と書いています


(麒麟の)田村 裕 著 「ホームレス中学生」
① 初出版 : 2007年
② 極貧時代 : 中学 2年 1学期の始業式の日から1ヶ月間
③ きっかけ : これが書かれているものは未だ見つけていません
多分、自分の特異なホームレス体験を周囲に語ることで書籍化を勧められた
のでしょう


島田洋七 著 「佐賀のがばいばあちゃん」
① 初出版 : 1987年
② 極貧時代 : 高校進学までの8年間の少年時代
③ きっかけ : 貧乏暮らしのエピソードを聞いたビートたけしが書籍化を強く勧めた

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「ビンボー魂」は5才の時の母親との別れから始まります。好きな男性が出来た若い母親と父親との間でどちらを選ぶか聞かれた風間さんが、子供なりに必死に考えて父親を選んだというよりも、自分を可愛がってくれる父方の祖父母や叔父さんの存在をより強く感じ、父側についたというところに切なさを感じました。そのとき別れた母親の温もりも顔さえも覚えていないという。これは過酷な出来事を消し去りたいという心のなせる技でしょうか。
母親のいない寂しさを振り切るためにーーー僕はお母さんに捨てられたわけではない、僕がお母さんを選ばなかっただけだ、と思うようにしたとありますが、小さいながらに心の強い人だったんだと感心しました。試練はさらに続き、ほどなくしてなんと今度は父親に新しい女性が出来、父は家から出て行きます。まるで一家離散の状態の中でも、いつもと変わらず元気に過ごせたのは、飄々とした楽天的な祖父母の性格のお陰だと言います。「いいことも悪いことも過去は過去でしかない。大事なのは今日を生きるために必死になること」と幼い時からずっと思ってきたそうです。

本文には、祖父母の僅かな年金だけで暮らす極貧生活の具体的な例がたくさん語られています。
•切り傷は唾で治す
・虫歯はペンチで抜く
• ひもじい時は草花やカマキリなどの虫も食べていた
・ 認知症になった祖父の介護を4年もした

などなど数多くの体験が語られています。
これほど無い無い尽くしの生活だと心も折れ、グレるのではと思いますが、風間さんに言わせると、グレるためのお金、余裕もなかったと言います。

読者としてはつい笑っちゃうのですが、アパートの部屋には浴室もなく、銭湯に行く余裕がない時は、屋外の洗濯機に真冬であろうと水を張り、服を着たまま固形石鹸を握りしめ洗濯機内に体を張り付けた状態で、スウィッチオン! これだと服も体も同時に洗えて一石二鳥!とあります。

貧乏なことで一番辛いことは、空腹なこと、ひもじいことだと言います。前述の草花や虫、他にもこれはと思うものを試食?していく風間少年のサバイバル生活には圧倒されます。11,12年間も続いた極貧生活で身についた人生哲学には、
【目標を達成するための方法は、一つではない】
【幸せに生きていくための方法は、一つではない】

風間さんには、次の祖母の教えが一番の原点になっています。「貧乏だと人は悪いことをしてしまいがちだけど、そこをぐっと堪えることが大事なんだ」これは、のちの「お金に支配されたら負けだ」という教訓になったそうです。

両親の事も許せ、父親とは交流しているとのこと。ただ、母親とのその後の再会はできなかったようですが、『オーラの泉』出演の際、江原さんからお母さんが見守っていますよ、と言われ、素直にそうであったら嬉しいなと思ったそうです。

【あとがき】の中で、風間さんは、【人生で一番大切なことは、コミュニケーション力だ】と、【すべては、人が作り出すもの。僕はそのためにコミュニケーション力を最大限に活かしてこられたような気がするのです】と締めています。

最後の言葉、
【どんなに感謝してもしきれない亡き祖父母に………。ーーーーーありがとう!】には、涙が溢れました。


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