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平成二十七年の大晦日に感じていること [日記・雑感]

今日は年の瀬の大晦日です。
昼前から連休中の買い出しに行くつもりが、NHKの朝ドラ「あさが来た」をたまたま見だした所途中で止められなくなり、正午近くまで見てしまいました。あさ役の女優さんや頼りなげな優男といったあさの主人を演じる玉木を始め、適役の役者が多い上に山あり谷ありの出来事の連続で、久しぶりに楽しめる番組だと思います。
慌てて電車で外出し帰ってきたのが16時半あたり。普段はあまりテレビを見ないのに番組表は見ず気の向くままチャンネルを変えます。18:30からはダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで?」を覗きました。まあ見ていればそれなりに笑いはこみ上げてくるのですが、最近はこちらも見慣れてきたり放送する側も種切れになっているせいか大爆笑するほどは楽しめません。


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BSに切り替えると、前夜あった「塩野七生[×]?向井理 魅惑のイタリア大紀行」の続編がありました。先の番組と同様に前に一度見たものでしたが、塩野氏の話が聞きたく殆ど流しながらも聞いていました。

前回、フィレンツェにあるミケランジェロ作の「ダビデ像」について塩野氏が向井さんに語る言葉が印象に残ります。向井さんのような若い人がダビデを見る見方と年を取った者の見方は違う。若い人は自分と同じ若い肉体を持った青年(像)として見るかもしれない。(はるか前に青年期を過ぎた)年を経た者は若さというものをまざまざと見せつけられる・・・多少言葉は違うかもしれませんが、こういう内容でした。ダビデは確か16,17才くらいの少年、青年くらいでしょうか。私がこのダビデ像を向井さんのようにまじまじと見たのは、24,5才の頃でした。男性の大きな裸像をじっと眺めることがなんだか気がひけるような恥ずかしいような気がしたのを覚えています。まだまだウブだったのですね。それでも若いダビデの姿、スラリとしながらも筋肉の張りのある肢体に魅せられました。石という素材で波打ち浮き上がる血管さえ彫りあげる技、硬い石を削り削り彫り上げながら無から有を生み出していく芸術家の作品にただ圧倒されました。ミケランジェロはこの像を20代で作ったそうです。これを天才と言わずしてなんと表現したら良いでしょう? 塩野氏によれば、ダビデ像は「青春」のシンボルとしてよく使われているそうです。番組内でもドナテッロ作のダビデ像も出ていました。当時の私は知らなかったのですが、ダビデは青年ながら我が身一人で巨人ゴリアテの額に石を投げて倒した人です。旧約聖書の中の話ですから、日本でしたら古事記の中の一つのお話といった感じでしょうか。若者の勇気、行動=青春です。


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ルネッサンス時代のミケランジェロのみならず、ギリシャ・ローマ時代の 彫刻はこれでもかと言うばかりに、人間の肉体の美しさを表現しています。日本の美は奥ゆかしさ、隠す美といったら良いでしょうが、西洋は裸像、裸画に見られる如く解放の美、外に表現する美です。どちらの美により見せられるかは、その人の趣向、感性によるでしょう。最初の海外旅行はヨーロッパでした。どちらかといえばヨーロッパの文化に傾いていた私は、当地で様々な有名な美術館を巡るうちに、自分は根っからの日本人だと思い知らされました。頭の一部を西洋化されていても殆どの自分の本体は日本人だとごく当たり前のことに気づいたわけです。

それ以来今に至るまでそれなりの体験をしてきましたが、西洋と日本の思考や文化の違いは常に関心事となっています。

今夜の番組では、塩野氏がベネチアのことを語りながら、「・・・自由を認められたいなら、それなりの力を持たないといけない。ベネチアには海軍という力、現代風に言えば、抑止力があった」というくだりに共感を持てました。曽野綾子さん曰く、日本は世界で一番自由で豊かな国だ。この自由な日本で自分たちの生命と存在を守る軍隊を持つことを反対する人間が大勢いることはなんと幼稚な愚かしいことだろう。


もう除夜の鐘が聞こえる時間が近づいています。今年一年に感謝して新年を迎えます。


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「実感するサイエンス」ー 山極寿一京大大学総長の特別講演を聴いて [日記・雑感]

クリスマスも過ぎた12月26日(土)に久しぶりに京大に出かけました。
京都大学物質ー細胞統合システム拠点(i CeMS)主催の「WPI合同シンポジウム・実感するサイエンス」の講演が目的でした。

たまにこういうアカデミックなお話を聴けると癒やされます。3名の研究者の方の短い講演の後、京大山極大学総長の特別講演がありました。

ゴリラが人間とコミュニケーションを取ろうとする、挨拶をしようとするまさにその時の動画が流され、その図体に似合わぬユーモアたっぷりの動作に思わず笑いがこみ上げました。アフリカのコンゴのジャングル奥深くに入って行き、ある程度ゴリラ達のそば近くまで行けるようになるまで、確か二年ほどかかると言われました。色々な研究や学問があるものですね。


去年京大の総長になられた山極寿一氏は、霊長類学の大家、ゴリラの研究で有名な方、というくらいのことしか知りませんでしたが、変な言い方かもしれませんが、成る程ゴリラも一目おくだろうと思える体格も、考えや人格もどっしりとした方でした。


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特別講演は30分の長さであっという間でしたが、こんな風に切り出されまして、話に吸い込まれて行きました。「今発表された3人の先生方は、初めに皆『何故?』という問いを持った人達です。(私たちは)『何故・・・なのか?』という正しい問いかけをすることが大事で、それを追求して行く中で例え失敗したとしても、そこからまた新たな問いを設けていくことが大事です」

この言葉の中で、「正しい問いかけ」の「正しい」という言葉がとても印象に残っています。白黒をつけられない、むしろ曖昧な中で差し当りなく日常の仕事や人間関係を進めていかないといけない我が身の状況となんと離れた見解、姿勢でしょうか? こうして仕事や会社を離れて大学に行くのは大げさに言えんば真実、少なくとも真実を求める姿勢、行動に飢えてくるからだと思います。


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ともあれ、お話は何故ゴリラの研究に携わることになったのかに及びました。大学で人類学の面白さに目覚められた氏は、人類を知るには、人間と離れたサルではなく、人間に近い類人猿を調べていくのが良いという考えに基づき、その内のゴリラの研究を始められたそうです。30分のお話全体を通して、3点ほど印象的なことがあります。

① ゴリラのコミュニケーションの取り方ー両眼でしっかり見つめる

時間の制限もあり詳しくは聴けず残念でしたが、前述触れたように、ゴリラは仲間同士でも自分たちが慣れてきた人間にも、アプローチするときは、真正面から両目を合わせて向き合うというコミュニケーション方法を取るということです。昔、修学旅行で高崎山に行ったことがありますが、事前に猿達とは目を合わせてはいけないと言われ、視線を合わせないようおっかなびっくりで近づいた経験を思い出しました。あの猿達とは全く違い、撮影動画の中で一匹のゴリラは間近にいてわざと気にも留めないふりをしている黒人男性に挨拶(?)をするため、男性の顔を正面からじっと見ようとでかい体を移動したのです。ゴリラにその気はなくともなんともユーモラスな動作です。 目を合わせるとヤバい雰囲気になるサルとは違うではありませんか!

② 動物(サル、チンパンジー、オランウータン、ゴリラ等)と人間の眼(まなこ)の違い

カラー写真一覧表を見せてもらった後、人の眼にはサル達と違って黒目と白目があるが、このことが 非常に大事な意味がある、と言われました。 この意味については、後からネットで検索した動画の中でちゃんと説明されていて、成る程と思った次第です。


③ 有名な霊長類学、ゴリラの学者、ダイアン・フォッシーさんについてのコメント

後半でしたか、ダイアンさんと彼女の実話を映画化したシガニー・ウィーバー主演の映画のポスターの2枚が出されました。ここで、ダイアンさんはアフリカの現地で殺されたこと、調査や研究をする時は、周囲との調和(を取っていくこと)が大事と、サラリとコメントされたのが印象的で、遠い異国からやってきた人間がアフリカの現地で研究をする上でのいろいろな状況が想像され感慨深いものがありました。


今回は3つの大学機関から来られた3人の研究者の方の講演を聴く目的で参加しましたが、山極寿一京大総長のお話がより心に残り、早速アマゾンに氏のゴリラ研究の著書を一冊注文しました。この本については、別のブログで述べることにします。


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日本・トルコ友好125周年映画「海難 1890」を観て [映画]

「海難1890」は12月5日から公開されているが、やっと昨日観ることが出来ました。小雨の中映画館にギリギリで着くと、思いの外満席に近い状態で、目線の高さになる席が一つ空いていてほっとしました。
初めてトルコにツアーで行ったのは2003年のことで、それよりも前に、トルコの艦船「エルトゥールル号」の海難事故の話は産経新聞記事で知っていました。当時は明治時代で、その頃の貧しい漁村で生活していた日本人たちの真心に感動したものです。ツアーの途中で、日本語が流暢なトルコ人ガイドのニハト氏が移動中のバスの中でこの事件の話をしてくれ、思わず身を乗り出して耳を傾けたのを今でも覚えています。ニハト氏は、日本にも行った事があり、この事件の舞台となった和歌山県串本町にある慰霊碑のあるところまで訪ねて行ったと語っていたのが印象的でした。


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初めてのトルコの旅で、世界3大料理の一つと言われるほど美味しいトルコ料理や親日的なトルコの人たちに魅せられ、それから2度、3度と出かけたのはいい思い出です。その間、小学校時代の教科書に「エルトゥールル号」事件と日本人たちの話が出てくるのか現地の人に尋ねたところ、本当にそうだと返事が返ってきました。そうであれば、トルコの人達のほとんど皆が昔の日本人の善行だとは言え、私達日本人に対して感謝の気持ちと好意を抱くのは自然だろうなと思いました。親日的な理由としては、もう一つ挙げられます。それはトルコが散々悩まされてきた帝政時代のロシアに小さな島国日本が戦争で勝利した事です。よくぞやっつけてくれた!という気持ちだと思います。


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今回の映画化は日本とトルコの友好125周年にも合わせたもので、ようやくここまでこぎつく事ができたという感慨を市民の1人としても感慨深いものがあり、どれ程、あるいはどういう手法で作られているのかという期待や興味がありました。

先ず、冒頭のシーンは思いがけないもので、「おっ!」と驚きました。普通の映画ではこういう展開にはならなかったでしょうが、映画が作られた目的や意義を考えると頷けます。
配役はほとんど適役で良かったと思いますが、俗世間にまみれた医師役の竹中直人の役回りはちょっと軽いような気がしました。もうちょっと地味でハマリ役の人がいれば良かったでしょう。史実を基に脚色したストーリーになっていますが、前半の「エルトゥールル号」海難事故編では、若い女性のハルが登場しますが、夏川結衣扮する遊女お雪の存在が緊迫した場面の連続で暗くなりがちなところに艶っぽいアクセントをつけているところが良かったです。配役を後から見直すと小林綾子が出演していたと分かりましたが、アップではあまり写らなかったのか観ている間では気がつかなかったです。

意外にも「エルトゥールル号」が航海に出てからの船内での人の動きや人間模様がよく描かれていて、特撮でしょうが、嵐に翻弄される艦船の様子もリアルでした。

「エルトゥールル号」事故から九十五年経った1985年のテヘラン邦人救出劇編は短いながらもコンパクトによくまとめられていました。ムラトが日本人女性の春海(この名も意味深です)に、じっと顔を見つめながら「君には何処かであったような気がする」とつぶやき、春海も「私も」というところは、何世代も時を経ても命から命への繋がりが現代に至るまで続いている事を私達日本人に伝えているような気がしました。

ネット上で知りましたが、今年の12月3日、日本・トルコ友好125周年とこの映画公開を記念して、串本町沖の海中に高さ2.8メートルのトルコランプが設置されたそうです。


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クリスマスの思い出映画「汚れなき悪戯」から「キリストの秘密」まで [映画]

今日は12月22日、クリスマスまであと少しです。クリスチャンではないけれど、日本でもすっかり師走の催し事となっていて、なんとなくキリストの誕生日なのだと思いをはせたりします。この世で一番迫害を受けた人が、この世で一番愛される人になろうとは、クリスチャンならずともこの世の不可思議な摂理を感じます。

これまでこの日を何十回と過ごしてきましたが、最近では過去のクリスマスの思い出を振り返ることが多くなりました。その1つが映画「汚れなき悪戯」にまつわるものです。私の幼年時代は、まだ日本もこれほど物質面では豊かでなく、余程の家庭でないと煌びやかなクリスマスツリー、豪華なケーキ、ましてやクリスマスを目的としたパーティ等なかった時代です。我が家もそれなりに貧しくかったと思いますが、クリスマスイブの古い写真が一枚残っています。部屋を暗くして、ろうそくを立てた小さめのデコレーションケーキを前にとんがり帽子を被った4才くらいの私が写っています。ずっと後に、姉から聞いた話では、その頃私は病気で死にかかったことがあり、「あの時はなんでも買ってもらっていたよ」という時らしい。わざわざクリスマスケーキを用意してくれた両親を想うと今更ながらに胸が熱くなります。


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時が数年経ち、クリスマスの朝(記憶が曖昧ですが、多分小学低学年のとき)、三人姉妹だった私たちの枕元に一枚のレコードが置かれていました。それが「汚れなき悪戯」の今でいう映画のサントラ盤でした。その頃福岡から田舎に移り住んでいた私には、子供ながらに都会の香りがしました。何度も聴いたそのメロディーは耳から離れず、今でも歌詞はともかく口ずさむほどです。レコードの音楽に慣れ親しんだあと、近くの古い映画館で「汚れなき悪戯」を観たわけです。

主人公のマルセーリーノよりは何才か年上でしたが、彼のあまりのあどけなさ、汚れのない純な心に涙を流したことをよく覚えています。今回、ネットで検索してわかったのですが、原題は「マルセーリーノ パンとぶどう酒 」で、映画のストーリーそのものを表していますが、邦題の「汚れなき悪戯」の方がより相応しいと思いました。当時の私は、これはきっと奇跡の実話と思いましたが、元々は14世紀のイタリアのウンブリア州にあった民間伝承の話がベースになっていて、イタリアではなく1955年製作のスペイン映画だったことも分かりました。当時のスペインは例のフランコ将軍支配下にあり、検閲も厳しい中でのこのいわば宗教的な映画がヒットした背景を考えると、俗世間の表裏も考えさせられますが、マルセーリーノという幼子の純白な心がキリスト(キリスト像)の愛に直接触れることのできた奇跡に感動します。孤児のマルセーリーノが修道士たちの愛情に包まれていながらも、未だ会ったことのない母親を思慕する気持ちは、色々な悩みを持った「彷徨える子羊」の人間が、未だ見ぬ神、キリストの存在を求め続ける気持ちと同じだと思うのは考えすぎでしょうか?

こんなクリスマスの思い出に浸りつつ、本棚の「キリストの秘密」(光田 秀訳)の本を手に取りました。以前、光田氏からお聞きしたお話を断片的に思い出したからです。その時一番印象に残った事は、「何故キリストは、いくら貧しい夫婦からだと言え、馬小屋で生まれたのだろう?」という長年の疑問に対する答えでした。それは、人間の手垢で汚れたベッドではキリストはこの世に誕生する事はできなかった、ということです。それを聞いて納得できました。

この本は、神学者のリチャード・ヘンリー・ドラモンド氏が、あの眠れる霊能者、エドガー・ケイシーの【リーディング】を元に現代の我々が知りえぬキリストの姿、秘密を紹介していて、クリスチャンならずとも大変興味をそそられる内容が随所に書かれています。本の帯には、【キリストの行動を詳細に透視した驚異のレポート】とあり、期待は裏切られないと、私は思います。


ここで幾つか触れるとすれば、信じる、信じないは別として、

①キリストは約2千年前に初めて出現したのではなく、それまでに地上で何度か人間として受肉していた
(全部で30回受肉していた)

②キリスト降誕の準備で、地上での準備はエッセネ派と呼ばれたユダヤ人の宗教一派によってなされた

③【リーディング】によると、マリア自身のの処女降臨を断言し、つまりマリアの母アンも人間の男を知らずしてマリアを産んだと言っている

この前後の話も大変興味深いし、スピルチュアルなものに抵抗がない方には是非お勧めの本です。

「キリストの秘密」は観念的な話ではなく説得力がありますので、また別の日に書いてみます。


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山下達郎「クリスマス・イブ」を聞きながら・・・・・ある若者の独白 [日記・雑感]

師走の今、クリスマスが近づいて来ている。今年はなぜか山下達郎の「クリスマス・イブ」のメロディーが心に繰り返し浮かんでくる。この名曲はたしか1993年に作曲されたとネットであったが、私が初めてじっくり聞いたのは、2000年を過ぎていたと思う。しかも英語バージョンで、てっきり外国人が歌っていると思っていた。

内容は失恋の歌だが、その辛い思いがクリスマス・イブという特別の夜を背景にしているため淡い余韻を与えてくれる。

何度かこの歌が使われたJR東日本のCMを見ていたら、するするとこんな文が出てきた。

参考に、山下達郎作の歌詞を先に書いています。

【歌詞】

夜は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない  一人きりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night

心深く秘めた想い 叶えられそうもない
必ず今夜なら 言えそうな気がした
Silent night, Holy night

まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く
街角にはクリスマス・トゥリー 銀色の輝き
Silent night, Holy night

(以下、この歌詞がリフレインされます)


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***「クリスマス・イブ」を聴きながら・・・一人の若者の独白が浮かんできました。***

今晩は年に一度のクリスマス・イブだけど、小雨が降っている

地下鉄の駅から抜け出て街中を傘をさして歩いていくと、

若者のカップルや買い物帰りの家族連れ、それぞれの家路につく人の群れとすれ違う。

ショーウィンドウの照明が濡れた歩道に映り、店のトゥリーも銀色に煌めいている。

雨と寒さに思わず襟を立てるが、今晩は雪へと変わるだろう。

深呼吸をして、君の笑顔を思い浮かべる。

去年のクリスマスは二人きりではなかったけれど、いつもの仲間で楽しく騒いだね。

12月に入り、クリスマスの予定を聞いたら、君は、別の予定が入っていると言っていた。

噂では、誰か同郷の好きな人がいるって聞いたけれど、本当かな?

きっと君はこの街のどこにも来ない。

一人きりのクリスマス・イブ、僕は今夜を二人で過ごせないんだ。

これから夜は更けていく、ああー、僕はしみじみと君を想う。

心に深く強く秘めていた君への想い、今夜君に伝えたかった。「君のこと、ずっと想っていたよ」

叶えられそうにないと分かっていたけど、今夜なら必ず言おうと思っていた。

一人きりの聖夜だけど、告白できなかった夜だけど、僕はただただ君を想う。


【後記】
 人への想いも、色々な願いもなかなか叶えられなかったし、この先もどの位叶うか、、未知数ですが、歌詞のSilent night ,Holy night の部分の歌の雰囲気と盛り上がりが、失恋に限らず、人の悲しみや辛さをやさしく救い取ってくれるような感じがして、この曲に浸っています。


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曽野綾子氏語る― 今の日本人は卑怯で他罰的 [日記・雑感]

12月16日、BS日テレ番組「深層ニュース」を見ました。ゲストは作家の曽野綾子氏でした。海外、特に戦争や貧困で苦しむ国々を援助などで訪れたことが多い曽野氏は、地球上で一番豊かで格差のない国は日本だろう、その日本に住む日本人は、戦後70年を経た今、卑怯で他罰的になっていると語りました。

この言葉を聞いたとき、すぐに身近なことが頭に浮かんだ。職場の20代の若い女性がいるが、仕事やマナーのことで、思い余って注意すると、「すみません」の一言が口に出ない。自分の過ちを認めず、プイとして顔をそむける。遅刻してきても、休憩時間に居眠りして30分以上もオーバーしても、「すみません・・・でした(してしまいました)」と、先ずは自分の非を認めて謝るということがなく済ましている。自分の問題として引き受けないので反省がなく、相変わらず同じことを日常繰り返している。そのことが周囲にストレスを与えていることなど想像もしないだろう。これは彼女自身の性質や課題なのだろうか? 周囲の大人の女性に聞くと、今の若者に多い傾向だという。最初は若い女性に見られるものだと思ったが、若い男性にもよくあることらしい。これも身近な例だが、えらくネガティブ思考の男性がいて、仕事上のやり方やミスを指摘されると、「僕って・・・ですよね!? ダメなんです」と一見謙虚な言い方をとりつつ、その先の対策や努力していこうという意識がない(と少なくとも見える)。


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何かあると、他罰的に人や社会が悪いのだと非難するのは間違いである。子供でも事の半分は自分の責任だと引き受けるのが本当だ、と曽野氏は語る。現代は、子供に何かあると親たちは教師が悪い、学校が悪いというが、戦後70年も経つ今、すでに親の世代が戦後教育にどっぷりと浸かった存在である。


この戦後教育の過ちは、人間は平等だと理想的なことを掲げたことだという。人間は、実際は平等には生まれてこないし、人間社会そのものは不平等で出来ている。この点は全く同感であり、自分の経験でも、いかに教師が教育現場でヒューマニズムを説こうとそれは卒業するまでの綺麗ごとだと思うことが多かった。曽野氏が言うように(氏はクリスチャンであるが故に性悪説を取る立場)、人間はだれしも不純なものを持つが故に、それを自覚しつつ、却って感情ではなく理性で相手を愛しようとする姿勢や努力をしていくべきだという。


現在の色々な問題は、自分で物事や責任を引き受ける、つまり、自己責任の必要や大切さを子供たちに教えていないから、生きていく上での挫折や苦しみに抵抗力がない、いわばヘタレを生みだすことになると思います。今の若者だけを批判するだけではなく、戦後教育を受けたほとんどの人は我が身のこととして、曽野綾子氏の提言を謙虚に聞くべきだと思いました。


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憂国忌45回目を迎えて  三島由紀夫氏が伝えたかったこと――谷口雅春氏「諸悪の因 現憲法」を読む [日記・雑感]


今年は三島由紀夫氏を偲ぶ憂国忌がはや45年を迎えたとネット上で知りました。三島由紀夫氏が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自刃した日は45年前の11月25日でした。折しも、ネット番組【日本文化チャンネル桜】では、11月28日土曜日に「闘論、倒論、 討論 」のコーナーで《 三島由紀夫が伝えたかったこと 》というテーマで三島由紀夫氏のことが色々な面から語られていました。

私もその時のことはまだ記憶に残っています。ちょうどラジオを聞いていた時に、いきなり緊迫した雰囲気で、ナレーターが速報として話し始めたのです。当時の私は三島由紀夫氏の作品は潮騒くらいしか読んでいなかったと思いますが、作家としてもその他の面でも有名な人物だとは認識していたので、あまりの突発的な(と思えた)事件になぜ?何のために?どんな考えの持ち主なのか?・・・と次から次に疑問が湧いてくるばかりでした。しかしながら、ノンポリで特に政治関係には関心もなく、というより避ける傾向があったので、断片的な情報からはどうしても三島氏の考えや自刃に至る経緯が謎でした。


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この時から20年くらい経過した頃で、三島由紀夫氏や森田必勝氏の切腹の最後の介錯をされた方や森田氏と同じく楯の会の会員を甥に持たれる方とお会いする機会があるとは想像もしていず、不思議な思いがしています。

先に述べたチャンネル桜提供の討論番組を見て、何気に本棚の谷口雅春著「諸悪の因  現憲法」を手に取ってみると、三島氏の自刃の理由を明確に語っていた。因みに、かなり前に古本屋で手に入れていたのに、読んだことがなかった。これは本というより講演録をまとめた90ページほどの冊子で、昭和47年発行でわずか百円という値段で、改めて驚きました。
三島氏自身についてはわずか3ページしか書かれていませんが、三島氏は現憲法が諸悪の根源だということを誰よりも憂え、悲憤慷慨されていたことがよくわかります。間接的に聞いた話では、三島氏は自刃決行の前に当時生長の家総裁の谷口雅春氏に面会を申し込まれたが、お側の人が谷口氏の意向を聞かずに多忙とかの理由で断わられたらしい。後でその事実を知った谷口氏はとても悔やんでおられたらしい。これは100パーセント事実かは私には断定できないのですが、当時知人から耳にしたことです。


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谷口氏は冊子「諸悪の因 現憲法」の第10章の二節目で、三島氏の自刃の理由を語っています。要約しようかと思いましたが、この冊子を現在所有している人も少なく著者の言葉を尊重したいので、敢えてそのまま出しています。以下原文のままです。

≪ 三島氏はなぜ諫死したか≫
兎も角も、この憲法第九条は「軍事力の破壊」という占領指令に基づいて、敗戦国日本に強制的に命令して出来上がったものであり、三島由紀夫さんは「第九条は敗戦国日本の戦勝国に対する詫(わび)証文であり、二重三重の念押しをからめた誓約書だ」と述べておられるようですが、これほど国家としての存立を危険におく条文はないのであります。そのため、やむを得ず自民党政府は、清瀬一郎さんの解釈を頼りに、第九条二項の「前項の目的を達するため」というところを、「前項の目的を達するために限り」と敢えて限定解釈して、「自衛権を持つことはその限りに非ず」と苦し紛れの解釈でもって、自衛隊を置いたのであります。ですから自衛隊の陸海空軍は、この憲法第九条に反する陰の存在であって、こそこそと内緒に置かれた、大手を振って歩くことのできない気の毒な立場にいるわけなのであります。果たしてこれで日本国を守ることができましょうか。
そこで三島由紀夫氏は自分が自衛隊員でありながら、自衛隊をこういう日陰者に置いている憲法を守らねばならぬ自衛隊であるということに、どうして憤慨しないのかと、悲憤慷慨して自決によって、自衛隊員及び国民の精神を目覚めようとされたのであります。かくの如くして自由に国家を防衛する権利を自己放棄したところの第九条をそのまま字句通り遵法すれば、「国家として死ぬ」以外にないのが、現憲法であります。

この国防力の自己否定――そして自衛隊の日陰者的存在ということから、現にどんなことが起こっているかというとアメリカ軍の基地が返還されたその跡を自衛隊が使って国を守る基地にしようとすると、大抵地元民が自衛隊に来てもらったら困ると言って反対する。沖縄でも、日本内地でも。、そのようになっております。国は、国そのものが存在するためにあるのではなく、国民の福利のためにあるのだから国防よりも個人の福利を優先すると定めたのが今の憲法であります。

三島さんが諫死される直前に、楯の会員に話をしておられたところによりますと、この九条については次のような改正案を持っておられたということです。
「日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信義と日本国民の信頼の上に建軍される」と。

このことは、三島裁判の証人として立たれた生政連会長の田中忠雄さんの証言内容にあったものですから、間違いないと思います。そしてまた三島さんは、この第九条のみを改正しようというような部分改正では、却って日本は米軍軍事体制の好餌となり、日本の自立は更に失われるであろうと考えておられたのであります。

第一章の“天皇の地位は国民の総意による”という条項の改正なしに、第二章第九条の戦力放棄条項のみの改正では、国家百年の大計を誤ることになるのであります。


以上が、谷口雅春氏の語る三島由紀夫氏の自刃の理由の文章です。

敗戦後70年、そして占領憲法下で弱体化した日本を諌めた三島氏の自刃から45年経ち、日本の心を持つ人ならば、敗戦と占領憲法の呪縛を認め、本当の人間の独立と国家の独立を勝ち取る勇気が必要だと思います。三島氏は敗戦後の日本人に絶望感を持ちながら、きっと心の奥底深くどこかでは、自分の打ち込んだ一つの楔が目に見えないながらも徐々に徐々に大きくひびとなり割れ目になり、多数の人の心を変化させることを願い、自ら命を投げ出したと思います。


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夏目漱石とブラックホール―― 一般相対性理論100年とブラックホール [日記・雑感]

最近、と言っても3週間前のことですが、新聞紙上で、(11月22日)京大基礎物理学研究所主催の市民講演会があることを知り参加してみました。テーマは「一般相対性理論100年とブラックホール」で、副題が『ブラックホール理論の最前線』となっていました。

アインシュタインが一般相対性理論を発表してから100年。第1線の研究者が解説されるというのです。

文系で全く理系のことは分からない普通の人間がなぜ? それは自分の環境、つまり職場の人間関係や会社のやり方にストレスをかなり感じ、夏目漱石の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意思を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」の文章が頭に浮かんでは消え、また浮かぶを繰り返し、鬱々としていたからです。

1 人の世の住みにくさ、理不尽さを感じる
2 一方、解決の見込みは望めない
3 曖昧さを否定する理論や論理的思考を求める気持ちの高まり
4 潜在的にあった「ブラックホール」への興味
5 市民、つまりほぼ専門的知識のない人たちも想定して、専門の学者はどのような解説をされるのか?という興味が芽生え参加しました。


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当日、バスを間違えたり京大の敷地内で迷った末、30~40分ほど講演に遅れてしまうドジをしましたが、3つの講演の内、2つ目の講演、ニコラス・ワーナー氏(南カリフォルニア大学 物理天文学科教授)の解説はほぼ聞けました。感想を一言でいえば、変な言い方ですが、理解できないところが多いのに面白い! ということです。これは、後から基礎物理学研究所から送られてきたアンケートにも書いた感想ですが、きっと苦笑いされていることでしょう。、ー

その日は疲労感を覚え体調は良くなかったのですが、いわゆる理論の展開を着ていると、うっとりするような癒しを感じ、自分でもびっくりしました。日常の、ああでもない、こうでもないといったもやもやした曖昧さがそこにはなかったからです。このアカデミックな雰囲気は久しぶりのことでした。

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頂いたパンフレットとニコラス教授のパワーポイントを用いた解説の記憶とを合わせて家でも何度か読みなおしましたが、一瞬わかったと思えた事柄も次の展開の説明で「うっ!?」となります。

後から読んだウィキペディアも参考にして、自分なりに印象に残ったところだけ羅列してみました。

①  最初に「ブラックホール」の理論的可能性を考えた人

それは、ジョン・ミッチェルという地質学者・物理学者で、1784年に論文を発表しました。それ以前の1675年には、オウル・ローマ―(表記が正しいかはわかりません)が、光速度を初めて測定し、1687年にはあのニュートンが万有引力を発見していたのです。ミッチェルの考えた「暗黒星」、つまり重力が強すぎて自身の出す光すら抜け出せない物体はどんな性質を持つのか?  この疑問が「ブラックホール」につながる本質的な物理的疑問だと講演で提示されました。


ミッチェルの考える暗黒星では、この星は近くにいる観測者には見えるが、離れた観測者には見えないという。


②  一般相対性理論は、真空での光速度は絶対普遍であるという。

ここら辺はそうですか!?というしかありませんが、ミッチェルの時代からぐんと下り、1865年から1915年にいたるマックスウェルとアインシュタインが唱えた理論です。
ミッチェルの唱える暗黒星が存在するのか?その存在と矛盾するかに思える一般性相対性理論ではどう見えるのか?

***ここでいう暗黒星を1967年に「ブラックホール」と名付けたのは、アメリカのジョン・ホイーラーだという。

アインシュタインの唱える一般相対性理論でのアインシュタイン方程式は、現代の重力理論や宇宙論の基礎で、 【重力を時空の幾何学として表す】

続いてカール・シュバルツチルドは星や惑星が【より重いと⇒より時空が歪む】とした。


③ 「ブラックホール」の標準的な理論の基礎として、
    【ブラックホール⇒極度(無限)の歪み】を考える

④ 「ブラックホール」の外側から内側は絶対に観測できない。外側から見えるのは、その質量、電荷、回転のみという。

⑤ では、「ブラックホール」はどうやって観測すればいいのか?

見えない「ブラックホール」そのものではなく、周りの物質に及ぼす影響から探し出す、というところが実に面白いと思いました。

⑥  パンフレット上の(ニコラス博士)言葉によると、「今や実際にブラックホールが存在することを示す圧倒的な量の証拠がある」と言われ、ここからイギリスのホーキンス博士の理論【ホーキンス反射】を説明し始められたが、ここからは資料を何回読んでも理解能力が及ばない感じがします。魚を捕まえようとしても。スルッと逃げられる感ですね。



恐る恐る、資料に従いまとめて(ここは素人なので専門家に確認をお願いします)、
いきなり講演の結論に触れますと、

⑦  結論

 一般相対性理論と量子力学はブラックホールが形成され、ホーキング放射を経て蒸発することを示唆している⇒情報が失われることを示唆する

これはユニタリ発展を要求する量子力学と完全に矛盾!!

このことは、別の理論、【弦理論】を最有力候補として必要とする。
今後の研究の目標は、
【弦理論的なブラックホールはユニタリ発展を持つことを示すこと】で、

言い替えると、【弦理論は量子力学と重力を調和できるという証明】だそうです



***追記***

ここまでまとめるのに、とても時間を要しました。全くの素人ですが、休日を利用し聴講したこともあり、こういう機会を与えてくださった京大の研究所、その他の方々への感謝の気持ちで何とか記録を残したいと思いました。

ニコラス教授の後に、重森准教授が話されたと記憶しているのですが、内容として「あらゆる物質を包括する宇宙も物質である」という言葉が頭にずっと残っています。この言葉が間違いではないか、一度研究所にお尋ねしたいと思っているところです。

もし、ここまでお読みくださった方がおられたら、本当に有難うございます。


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塩野七生氏が考える「外国語の満足すべきレベル」とは? [日記・雑感]

塩野七生氏が考える「外国語の満足すべきレベル」とは?

塩野七生著「日本人へ」(危機からの脱出編)を読んでいくと、よく世間で話題になる母国語と外国語の関係について2つ連続した話があり、とても興味深いことが書かれていた。氏が考える外国語の読解力で満足すべき水準とは次の3つの計器があるという。

①  道ですれ違った外国人の会話が、聴こうと思ってもいないのに耳に入ってきてしまう状態

②  同じ外国語でもその国の地方ごとで違ってくるイントネーションが判別でき、その地に行くや、その地     方の人たちの話し方を少し加えて話すこともできる

③  母国語で書かれた書物を読むときとほぼ同じ速度で、外国語で書かれた書物も読めること


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イタリアに住み始めて40年余りの塩野氏はイタリア語という外国語が上記のレベルまで達していると自らいわれるが、それで完璧かと言えばそうではないという。ローマやローマ人の歴史物を数多く執筆し続けてきているので、歴史用語なら当のイタリア人以上に知っているが、他の、たとえば、医学用語、金融用語などは知らないという。


物書きのスタートをイタリアのモードで始めたと書いてあるように、ある面白いエピソードを紹介している。ブランド物で有名なヴァレンティノの作品を日本で初めて紹介した塩野氏は、ある時、当のヴァレンティノ氏と会話する。その時、イタリア語に堪能な彼女に、「左うちわ」という意味に相当するイタリア語がどうしても浮かんでこず、言葉に詰まったという。彼女曰く、「要するに、外国語とは、上達したように見えても所詮は、関心が向いている方向にだけ上達する言語なのだ」。これは、人の生活、人生、また考え方、趣向にもぴったりと当てはまり、興味深い。人は自分の関心ごとにしか向いていかないし、発達しない傾向がある。一方、「母国語の方は、個々の理解度はでは劣っていても、知らないうちに全般的に習得している。つまり、必要に迫られなくても、ごく自然に学んでいる」(原文のまま)


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  言葉は、人類の獲得した「道具」にすぎないが、外国語は、多くの人にとっては、意志や思いを伝えるレベルで留まり、母国語はそういう伝達の道具だけでなく、考える道具になっている。グローバル化の時代では。特に英語の重要性が増すばかりであるが、グローバル化のメリットは、外国語を伝達の手段だけでなく、考える手段として生かすことだという。ここで注意しなくてはいけないことは、習得する言語は外国語、例えば英語だけでなく、英語プラス何かであった方がいいと彼女は柔らかく表現しているが、ズバリ言うと、何かとは母国語である。そして、ここが一番のポイントだが、「いかに巧みに外国語を操る人でも、その人の母国語の能力以上にの内容は、絶対に話せないし、書きもできない」と言い切っている。

  塩野氏の話を読んで、グローバル化 ⇒ 英語化 ⇒ 小学校からの英語学習 ⇒ 国際人の養成  と単純に指向する文科省やそれに追随する人は、言葉や言語の本質をよく考え、日本人には自国の日本語の徹底した習得を第1の目標にしてほしいと思った次第です。


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「スペクター」主演のダニエル・クレイグへのインタヴュー・・・その2 [芸能やエンターテイメント]

前回、「インタヴューその1」の最後の質問からの続きです。気楽に読み流してください。

ダニエル・クレイグは最新作「スペクター」が彼にとってのボンド映画4作目になります。いよいよ今週4日から公開となります。前回「スカイフォール」では、あの英国の歌手、アデルの素晴らしい歌唱力が楽しめましたが今回はどんな主題歌でしょう?



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*****ここからインタヴューです*****

――あなたは、「スカイフォール」を見所一杯のボンドと評しましたが、今度の作品をどう表しますか?同じくらい見所一杯なのか、また違った作品ですか?――

いいところをつくね。複雑な言い方をすれば、「スカイフォール」は実にうまく成功し、あらゆる記録を破り、とんでもない成功を収めた。だから、もう一作作らないといけなくなると、メンデス監督を含め、我々全員が途方もなく気がひるんでしまったんだ。どうしたら良いかって? 一旦始めたら、「スカイフォール」のことは考えられないって分かったんだ。“この映画のことだけ”考えねばならなかった。

  前作が見所一杯だったとしたら、この映画にはそれ以上に全てのものが入っているよ。やるべきことが入っているとこの上もなく感じられたほどだった。マニーペニーとQなる人物がまた登場して、それに今やレイフ・ファインがMを演じている。かれら全員がストーリーの中に配置され、そこからいろんな事柄が出来上がってきた。皆がいろんな仕掛けについてバンバン聞いてくる、「仕掛けはどこにある?」ってね。苦労して仕掛けを盛り込んだという感じではなく、たくさんの事柄を潜ませたんだ。そういうわけで、もっと見所があると言えるね。


――「カジノ・ロワイヤル」や「Quantum of Solace」に比べて「スカイフォール」にはユーモアがありましたが、「スペクター」にも継がれていますか?――

上質のギャグを作れるシナリオライターはいることはいるが、まれだよ。セス・ローゲンとかいった人はそんな映画を作って多くは即興でやっていて面白い人たちだが、僕はそういうものに慣れていないんだ。でも、ベン・ウィショーとかローリー・キニアのようにユーモアを軽々と扱う人もいる。そう、手短に言うと、我々はこの映画に前作よりもっとユーモアを加えようとしたよ。



――あなたはメンデス氏がこの映画の監督をしてくれるように熱を入れましたか?――

そう、ぼくは彼に引き受けてくれと頼みこんでいたよ。彼は大金をオファーされたし、僕も懇願していた。当初、会社はこの映画を時をおかず製作したいと思ったが、彼はそれは出来ないと言ったんだ。ただ時間が足りなかった理由さ。現に3つの劇場の演出を抱えていたし、実際どうやって彼が映画監督がやれるのか僕には到底わからないといった感じだ。そのあげく、会社は「脚本を進めていかねばならない」と言っていて、彼は、「いや、それは出来ない」といった感じだった。


――メンデス氏が監督を引き受けなさそうに見えた時、失望しましたか?――

気持ちがへこんだよ。「スカイフォール」では不安感があった。僕たち二人はがっちりと角を突き合わせて非常に熱のこもった議論を何度も展開した。そして問題を切り抜け、彼は不安な気持ちを克服できた。あれは彼にとっての最初の作品だったからね。僕の長年の知り合いの仲間たちとセットに乗り込んできたよ。全員が友人同士なんだ。彼は心中で、「ここでいうダイナミックってなんだ?」と考えている。僕と言えば、映画作りを頼んだのは僕ということで気にしていた。楽な気持ちになってほしくもあるし、彼の背中を押したい気もする。僕らは見知らぬ関係ではなく、お互いを知っていて、声を張り上げることも出来る。これは新作にふさわしい友情となった。違ったやり方で彼には途方もなく支えてもらっているし、僕の心の支えだし、僕も間違いなくかれを支えているんだ。


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――この撮影中、あなたが脚本を書く手伝いをしていたという話がありますが、本当ですか?――


腰を掛けて脚本を書くという感じではないよ。脚本は書けないからね。もし書けるものなら、きっと書いているさ。脚本家のジョン・ローガンがやってきて僕たちにある骨組みを投げかけ、その後二人のライターが来てトムを入れた三人と皆が作業するんだ。そのやり方というのは、僕が真夜中にアイディアが浮かび目をさまし、それを書き留めてメンデスに送る。彼が案を受け入れるかどうか、または僕に翌朝話をしてそこから話を膨らませるといった具合だ。だから、何かして色んなことを書いているわけではないんだ。



――ジェイムズ・ボンドを演じると服装やら、歩き方、体力といった見かけのものが色々つきものですね? そんなものにはうんざりですか?――

重荷だね。一番いい演技というのは、外見に囚われていないことだよ。ボンドは外見の真反対にある。外見に心を煩わすともがきが出る。ボンドのスーツの着こなしや部屋の入り方は重要だと分かっているが、俳優として自分の見かけなんてどうでもいい。だから二つのことを思って演じるんだ。ボンドのように見えるように、でも見かけがいいいにしろ、他人がどう思おうと知ったことじゃないさ。


      【次のボンドをだれがやろうと知ったことじゃない】

――あなたのジェイムズ・ボンドとしての一番有名なイメージは「カジノ・ロワイヤル」の中で水色のトランクスをはいて海から現れるシーンですが、10年たった今それを見ての感想は?――

そんなもの見ないよ。「素敵でなかったかい?」とめそめそと、そんなものを見るかい。ボンドになるために必要なものは知ってはいたが、自分が信じているものとことごとくいつも反対になる。君はもう何回も僕に会ったことがあるが、僕はさほど格好良くないし、最高に格好のいい人間でもないよ。そうだったらいいなとは思うが、そうではない。それに格好がいい振りもしない。しかしながら、ボンドを演じるには格好よくしなくてはいけない。で、一体格好がいいってなんだ?論文が書けるくらいだ。あれは大きなアクシデント、いつもと違った撮影だったんだ。浅い海を泳ぐ演技をしていて、身を起こし海から歩いて出てきたというわけさ。間抜けに写っていると思い、立ち上がって歩き去ったというわけさ。それがあのシーンだったわけだ。


*****ひとまずここまで一区切りです。続きは近日中に(その3)を投稿します。*****


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