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京都検定1級ガイド武井氏による妙心寺と鹿王院見学 [旅、観光]

9月22日秋分の日(木曜日)、あいにくの雨模様の中、JR花園駅で13:50時に集合し、そこから近い妙心寺に10分程歩いて行った。


実は、この日の催し《京都検定1級ガイドが語る京都再発見の3つの旅ーその3》のことをすっかり忘れていた。昼前にカレンダーをぼんやり眺めていると思い出し、慌てて準備してギリギリ待ち合わせ時間に間に合ったのだった。ガイド役武井道郎氏は《その1》の講座でお会いしていたが、集まった10数人のメンバーはほぼ中年の女性で、お世話役のYさん以外は初対面の人たちだった。


先ず、初めて妙心寺を訪れた。妙心寺は臨済宗大本山で、1つの寺町を形作っており、なんとこの敷地内に46も塔頭があります。その1つの寺院、【退蔵院】は応永11年(1404年)に建立された古刹です。
【退蔵院】という名は変わった名前だと思ったら、経典の中の語で陰徳を積む、という意味だそうです。妙心寺は聞いた覚えがありますが、【退蔵院】の存在は今日の日まで知りませんでした。入り口に立つ山門は、後から帰る際に武井氏から説明を受けましたが、屋根の中央の梁とわざとずらした梁がついていたので薬医門の作りです。山門をくぐり、拝観受付所で【退蔵院】のミニパンフレットを受け取り、正面にある通常非公開の庫裡(くり)の中に靴を脱いで上がります。右手に守護神の韋駄天の像が祀られています。


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その先に本堂の方丈があります。ここは、応仁の乱後1597年に再建された建物で、かの有名な宮本武蔵が『瓢鮎図』(国宝)の軸の前で座禅をしていたところと聞きました。禅と剣の道には共通点があるのですね。ここで見た『瓢鮎図』は模写ですが、日本最古の水墨画と言われています。漢字が表すままに、一人の人間が手に瓢箪を持ち、その小さな細い瓢箪の口に池の鯰(鮎)をなんとか入れようと構えている図です。同じ図の上部には、瓢鮎図の表す禅の公案への京都五山の高僧31名の回答が書かれ、印まで押されています。武蔵はこの絵の何に惹かれてここに居して座禅をしていたのでしょう?


どこかで聞いた『瓢箪なまず』のような人、という意味は、捉えどころのない、何を考えているか分からない人間、という意味になります。武井氏は、瓢箪に鯰を入れるという禅の公案に対する高僧の回答から4つほど取り上げて詳しく原文の漢文を解説してくれました。見学グループの一人一人が図の中の人間の顔をじっと確認する時間がありました。というのも、その顔が人の顔というよりは、猪八戒のような、狸のような特異な顔をしているからです。大きな瓢箪の中に大きな鯰をいかに入れ込むか、という一見不可能な問いかけをしているのですから、水墨画の達人、如拙も普通人の顔でなく、こういう顔の描き方を選んだのでしょうか?


この方丈の部屋の窓からは、室町期の画聖、狩野元信(狩野派始祖・正信の長男)の庭を見ることができました。小ぶりの雨が降る中に、枯山水の庭園をじっくりと眺めていると、昔の日本人の美意識、感性が伝わってくるようです。庭の背景には常緑樹を主に植えて不変の美を求め、自然の岩や真黒石や砂利で理想的な世界を表現し、訪れる人と共鳴し、御もてなしをする技に心が癒されます。武井氏の詳しい説明があって初めて作者の元信が描いた全体像が少しづつ見えてきましたが、この庭全体で、蓬莱神仙の世界を、一幅の絵のように山水画のように表現しているという。


右手奥の方に、先ず遠山石を置き、そこから水が流れ出て、二段構えの滝になる。滝は自然に縦縞模様の立石で表し、その滝から溢れ飛び散る水を平たい黒々とした色の真黒石(まぐろいし)で表す。滝は、禅の修行の厳しさと大切さも説く。滝が流れ出た川は大海となる。その中央には亀石で表す亀島がある。この亀島は左を向くと共に、水の流れの向きに向いている。さらに先には、本来あるはずの鶴島の遺構と思われる石組がある。亀島、鶴島で不老不死の仙人が住む理想郷を表す。庭園の奥には、築山があり、蓬莱石と蓬莱連山が配置されている。この庭全体は常緑樹が植えられ深山幽谷の世界となる。これは一幅の山水画を見るようである。

この庭を鞘の間という部屋から座して眺めるのが一番ゆったりできる。かなり時間をとって鑑賞することができました。この頃から雨が激しくなり、小雨になるのを待つために鞘の間でしばらく待ちました。


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今度は一旦外に出て、ガイド氏の後に続きますと、別に仕切られた大きな庭の入口に来ます。木の門をくぐると直ぐ目の前左に《陽の庭》と右には《陰の庭》が現れます。陽は明るい白砂利、陰は黒っぽい砂砂利が敷き詰められ、箒で水の流れのような筋がつけられていました。2つの庭を真ん中で分かつのは大きな大きな紅枝垂れ桜です。背の高いテント程の大きな傘状の木なので、この中に何人もの人がすっぽりと入れます。この桜伝いに奥に進んでいくと、パンフレットであらかじめ聞いていた《つくばいと水琴窟》の脇に出ます。手前の東屋は残念ながら立ち入り禁止でした。直ぐ先に売店や茶席のある《大休庵》があります。世話役のY氏はここで精進料理をいただいたことがあるそうです。


ここを通り過ぎると、目的の《余香苑》が一望に見渡せます。
『昭和の小堀遠州』と言われた中根金作氏による【余香苑庭園】を鑑賞しました。1961年に作られました。中根氏の他の作品としては、足立美術館庭園、城南宮楽水苑が有名だとのこと。ここは元々竹林が鬱蒼と生えていた場所らしい。竹に寿命があるとは初めて聞きびっくり。竹は50,60年に一回、花を咲かせて枯れていくらしい。一斉に枯れた後、この庭作りが始まったらしい。この庭はやや下方から上方の滝を眺め、視線を落としていくパノラマ的な作りになっている。それが自然に素直に受け入れられる風景である。先ほどの室町期の元信作の庭園を眺めた後に、この昭和の庭を見ても格段の違い、違和感は感じない。ここでも滝石組が一番のポイントになっており、刈込みの全体のバランスと空を借景とした《昭和の名園》と称される。

先ほど庫裡から方丈に進んだと言ったが、実はその前に書院という広い部屋に行き、座敷用の椅子に座ってお寺の方(女性)からこの妙心寺の説明を受け、書院の一角にある隠れ茶席の【囲いの席】に案内された。わずか2畳ほどの広さだったろうか。客人は3名しか入れない。禅を第一とする妙心寺では、茶の道を禁じた時期があった。ところが、密かに茶室を作った人(和尚さん)がいて、それを今日見学できる。躙り口(にじりぐち)は設けず、茶席があるとはわからぬように設計されていて、それほどまで茶を味わいたかったのかとお坊さんに人間味を感じてしまった。客人が入って来る上がり口は庭に通じていて、飛び石も手を洗うところもあるから、見る人から見れば直ぐに茶室の存在は知れてしまうのだろうが。床の間を付けるスペースもないから、軸を1つかけられるくらいの茶室です。お茶好きの方には中々面白い趣です。


さて余香苑を堪能した後、【退蔵院】を後にして、雨の降る中を歩いて【法金剛院】に向かいました。10分くらいだったでしょうか。この時午後4時くらいでしたが、【法金剛院】の正面の門がピタリと閉じられていました。ガイドさんの話では、雨脚も強くて時刻も遅くなりもう今日は誰も訪ねてこないだろう、と閉めたのでしょうと言われました。えーっ!予定に入っていたのにどうするの?と内心思いましたら、武井氏は慣れた感じでタクシー2台で近くの【鹿王院】に案内されました。【法金剛院】も【鹿王院】もこれまた行ったことのない院ですが、【鹿王院】はなんと足利三代将軍、義満が建てた禅寺でした。この鹿王院という名前からあの有名な義満が建てた【鹿苑寺 金閣】が直ぐに思い浮かびます。字数が多くなりますので、ここでの見学と感想は、別の機会に回します。

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